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色々と無理矢理感が否めないけどスケール感は好き
良かった
『猿の惑星 聖戦記』
3部作の完結編!物語の締め方としては美しい!
【救世主として】
・ラストの展開が美しい!1作目からのシーザーの変化を考えると涙ものです。
彼が死に行くシーンは空が幻想的な色をしていて、神秘的な雰囲気の中、天に召される姿は『フランダースの犬』っぽい!つまりキリスト教の持つ美しさを演出していて、猿達の救世主となったシーザーにピッタリの演出!
【悲しいシーンでピアノを弾くな】
・しかし、そのシーザーが天に召される神秘的なシーンで残念なのがサントラ!
これまで多くの作品をレビューする中で言ってきたけど、悲しいシーンでピアノの悲しい曲をかけるのはイマイチ。ドラマ性では無く、雰囲気で悲しくさせるのはレベル低過ぎる。エンタメ系の邦画やTVドラマに多い。
【CGのレベルアップ】
●モーションキャプチャー
・アンディサーキス凄過ぎる!流石はゴラムの人!本作では更にクオリティが高い!
『お前の目はまるで人間だな』と台詞がある通り、本作では復讐心に蝕まれ、人間的な負の感情を抱くシーザー。その脚本自体が、レベルアップしたCG技術を見せつける為でもあるのでしょう。
将軍を撃ち殺そうとする時の怒りに震える表情は、こっちまで震えるくらいリアル!
●猿の毛
・雨に濡れたり、夕陽に照らされたりとクオリティの高い映像を見せつける。特に凄いのは雪に濡れた湿り!水に濡れたのとは微妙に違う湿りが完璧でした!
映画界で『どうせCGでしょ?』と言われた頃があり、逆に実写に拘る時代が来ました。
そんな中、本作は雪山や夕陽の海辺など『CGでここまで出来る』とその技術の高さをアピールする為の展開を脚本に盛り込んでいる。
【シーザーのドラマ】
・リーダーでありながら私情を優先させてしまい、その結果、仲間達を危険に追いやる事に。
復讐心に蝕まれた彼が『おれのせいだ』と反省したり、復讐を辞める流れは見慣れた展開ではある。しかし人間では無く、猿で展開されると新しさを感じるし、改めてこの手の話に共感してしまう。
英語が上手くなった事で、より人間らしくなり、猿では無く人間として見てしまう。
コバのトラウマを抱えている事も人間的で良いんですよね♪
【カメラワーク】
将軍が捕らえたシーザーに息子を殺した話を聞かせるシーン!その話をしながらナイフで食べ物を口に運ぶ将軍。
棚に物を置いた時に、そこの壁に飾ってある幼い男の子の写真にピントが合う。この演出は上手い!台詞で"幼い息子"と言うより画像で見せた方が、『こんな幼い子を、しかも我が子を殺したの?』と衝撃的!
『おれは戦争行為で、お前の息子を殺した。だが、お前は個人的な行為でおれを殺そうとしている。お前がおれを殺したら、おれの部下はお前の仲間をどうすると思う?』
この将軍の台詞も印象的!
【旧シリーズ オマージュ】
●『猿の惑星 征服』の台詞
『ここで我々が負けてしまえば"猿の惑星"になってしまう。』
●『続 猿の惑星』のX型の猿貼り付け
●サントラ
●オランウータンのモーリスが旧1作目の主人公テイラーと同じトーンで『ノバ』と言う。
【まとめ】
西部劇(復讐劇)、脱獄もの、救世主とあらゆるジャンルの繋ぎ方は1作目同様に面白い♪
また、暗い作風を和らげるギャグ要素も特化したいたし、旧シリーズ通して無かったものを取り入れて成功している。
何より上手いと思ったのは雪崩!
人間は戦争で自滅!すると思いきや、自然の鉄槌がくだるオチ!しかも猿達は木登りが出来るから巻き込まれなかった訳で、"猿だから助かった"訳です!自然が次の支配者に猿を選んだ!て考え方も出来る訳で、本当に上手く出来ているわ♪
『猿の惑星 新世紀』
原題では"夜明け"とあるが、作中のどの場面が『猿の惑星の夜明け』だったのか?
【2001年宇宙の旅】
・第1章『人類の夜明け』ではモノリスに触れた人類が道具を使い、殺人を覚えた話が描かれている。つまり『同類を殺す=文明の発展』
本作の場合はシーザーがコバを殺す。
旧シリーズでも登場した『猿は猿を殺さない』を破った事で、猿は人間と同じように高度な文明を築くに至る。
それを示しているのか、冒頭の狩りをするシーンでの音楽が『2001年宇宙の旅』でモノリスが登場したシーンの音楽を連想させる。
【悲劇が起きるのは必然だった】
・では『猿が猿を殺す』悲劇は、人間から酷い仕打ちを受けた過去を持つコバが反乱を起こした事が原因。
しかしコバの過去があったからこそ、ウイルスは完成し、知的な猿達は誕生した訳だし本作の悲劇は、猿文明が発展する為に必要だった流れだと言える。
コバはシーザーに反乱を起こし人間達に宣戦布告するが、それが彼なりの正義である事が物語に深みを与えている。
【脚本上のアクション】
・猿、人間それぞれのキャラに設けられたドラマが組み立てられた脚本。それらがラストバトル時に全て重なる手法。
派手なシーンだけでは無く、ストーリー的にもアクションの行方が気になるしドラマ的にもハラハラさせられる。それぞれのキャラの編集が見事!たくさんのドラマが詰め込まれているのに、まとまっている。
【猿達の描写】
●シーザーと息子
・シーザーの前作から変化した顔立ちや白髪、シワが経験値を積んだ事を語っている。素晴らしいデザイン。
また顔が似ている息子は、観客が見間違えないよう、体に大きな傷がある設定。
●コバ
・あの恐ろしい顔が悪役感ある!しかし冒頭の熊を退治するシーンで見せる笑顔は優しい!良く観ると右目は垂れ目で優しい顔。左目は失明していて怖い。まず顔の傷が人間にやられたものだろうから、彼の見た目自体が、人間社会により作り上げられてしまった悲劇の悪人を表現している。
アホ猿のフリをして人間から銃を取るシーンの賢さ見事。人間が猿を下に見ている事を利用した作戦でした。
【カメラワーク】
コバが戦車を襲う。操縦士を失った戦車は回転しながら人間のバリケードに衝突するので、洗車に着いた固定カメラが辺りの状況を360度、観せてくれる。バリケードの崩壊が戦車の衝突、絶望感を演出する音楽と共に映され、人間にとっての絶望を表現している。
【まとめ】
ほぼ一新されたストーリーだけど、旧シリーズへのリスペクトがある。(特にサントラ)
駅の仕切りの回るやつ(名前知らない。笑)を人間社会を知っているシーザーだけが飛び越えず通って行ったり、前作で登場した窓のマークが使われていたりなど、細かい演出がされている。
猿と人間側、両方のドラマを展開する事で、最後の和解のシーンに深みを与えている。ドラマの使い方も、両方に思春期の息子が居たりなど共感や比較のしやすい設定。
シーザーとコバのバトルが見応えあったのも、それまでに展開されたドラマ性があったからだし、ドラマ性と編集が優れていると思う。
シーザーとコバのカタコトの英語のやり取りや、闘いが起きる際に演出される炎も素晴らしい表現!
『猿が戦争を始めた。すまない』とシーザーの台詞があるけど、旧シリーズとは違い、猿側に非があった流れにされている。より、猿側に感情移入させる物語に仕上がっているので、この変換が効果抜群!
『猿の惑星 創世記』
見事な作品!完成度が高い!
【解説キャラを使わない】
・『平成ゴジラ』では『ゴジラがジュニアを助けようとしている』などゴジラの心境や行動を解説する固定の女性キャラがシリーズ通して登場していた。動物には表情や台詞が無いので、感情を観客に示す為の代弁者が必要だから。
しかし本作は代弁者は無し!
シーザーが旧シリーズと違って口がきけないにも関わらず、その心境を代弁しない!これが本作の最大の魅力でしょう!シーザーの感情が伝わる。
【如何にシーザーの感情を伝えているのか】
①モーションキャプチャーのリアルな表情
②音楽やカメラワークなどの演出
③物に感情を象徴させる
①については語り尽くされているので、今回は③に着目!前半でシーザーが住んでいた部屋の窓。そこから見える外の景色は彼に取って"憧れの世界"だったでしょう。
それが後半では"自由や安らぎの象徴"となり、壁に窓と同じ形の絵を描く。そして絶望した際に絵を消す。それだけで心境を読み取らせる作り!
【旧1作目の主人公テイラー】
・保護施設に入れられたシーザーは動物扱いされ檻の中に。ホースの水で圧をかけられるシーンがテイラーと重なる。
また、自身は知的生物であるが、同じ種族"猿"が言葉を話さない動物として檻に入れられている様をシーザーは目撃する。
テイラーが動物化した人間を目の当たりにした展開と心境が重なる作り方をしている。
【人類滅亡の設定について】
・旧シリーズは核兵器による滅亡だったけど、本作は、病気を治す為に開発されたウイルスが滅亡のキッカケとなる。現代社会に見合った上手い変換だと思う。
旧1作目の台詞である"知識を制限する事が平和に繋がる"的な内容ともリンクしているし、アルツハイマーの研究てのが、脳=知識とも考えられる。
【カメラワーク】
・職員から武器を取り上げて『ノー!』と言うシーン最高の盛り上げ方でした!シーザーが背を伸ばして人間より高い視点になるのと同時にカメラを上げる!このシーン最高!『ノー』に対するゴリラの恐れ驚く表情も、このシーンが持つ効果をギャラリーの反応として、引き立てている。
【物語の構図】
●前半パート
・シーザーは人間では無く猿なので社会に馴染めない。自宅内で生活するシーザーの狭い世界においての脅威はお隣の家てのが良い。狭い社会内に、きちんと世の中の縮図として表している。
●後半パート
・自我に目覚めるキッカケとなった犬と出会うシーンで大木の茂る楽園を知る。また出生の秘密を聴いた際にウイルスと会社の事を知る。それら前半の展開が後半の伏線にもなっている。
また、お隣さんの車をアルツハイマーの父が傷付け、シーザーが助けようとするシーンがある。自宅にウイルスを取りに戻った際に、その車をグシャッとして去る。シーザーが、人間社会には戻る気のない心境を表した行動。
●ラスト
・あのお隣さんが飛行機のパイロットだったオチは物語の構成の巧さに衝撃を受ける。
ウイルスが世界中に広がる様をエンドロールの地図のみで示す。余計な尺を取らず、あらゆる点をスムーズにまとめた脚本に脱帽!
【まとめ】
1時間45分の映画とは思えないスマートな脚本!社会描写としては、ウイルス研究に猿を使っている点でしょう。
キャストが多様な人種によって構成されている点もポイント!
1人の人物(猿だけど)が自我に目覚め、自分の生きる道を確立する自立の話でもあるし、人間社会の産物という視点では最近、流行った『ジョーカー』とも似た話でもある。
『PLANET OF THE APES/猿の惑星』
2001年公開作品。まさに"2001年宇宙の旅"をした主人公が不時着したのは猿が支配する惑星だった!
てな感じで物語の大筋は同じものの、旧シリーズ5作のような社会描写は無く、単なるアクション映画でした。なので評判が悪い事も理解出来る。単なるアクション映画としては楽しめましたけどね!
【ワイヤーアクション】
・猿達が高くジャンプするシーンがある。当時は流行の最先端であったワイヤーアクションだけど、今観ると違和感。
脚の筋肉量や特に勢いを付けていないのに身長の10倍以上の高さをジャンプするのはおかしい。
でも当時は、その違和感が"非現実的なカッコ良さ"に観えたんですよね。時代の流れは恐ろしい。
【旧シリーズとの比較】
①本作の猿は足が使える
・これは新しい発想。両手を挙げて降伏していると見せかけて足では銃を握っているなど、面白い使い方を見せていた!
②特殊メイクがレベルアップ
・1作目(1968年)から30年もたった訳だから当然ではある。元々、1作目の時点で猿のメイクは素晴らしかった!目元が動くから表情を感じますよね!ただ細かい点を言うと、唇が上下にしか動かないので、キスシーンが不自然ではあった。それが改良され、本作では唇まで人間みたいに動く。なのでキスシーンも自然です。
③人間が普通に会話できる
・単なるアクション、パニック映画だから人間が動物化している必要は無い。でも人間が話せるって『猿の惑星』ぽく無いですよね。笑
女性に関しても、旧シリーズに登場するノバは美人な女優さんが演じているんだけど、どこか不潔感があり、動物らしさがある。
しかし本作の金髪ギャルは原始人のコスプレにしか観えないしセクシー過ぎる。地方妻ゲット!みたいな展開もなんかねぇ。
【セード将軍が可哀想で最高】
・本作の悪役。猿達の神話を語り継ぐ家系。
猿達の起源は主人公達の研究!しかし猿達はそんな事は知らず、自分達は神に似せて作られた!と神話を信じている。
旧シリーズでも、猿達は進化論では無く神話を信じている。進化論を証明する遺跡は、社会の秩序を崩壊させるとして爆弾で消される。
それが本作の猿達は真実を知るんです!実は人間の実験モルモットだった事が起源だなんて残酷な真実。
『神話は嘘だ!それを語り継いだのはお前の家系だ!』と言われセード将軍は社会の全ての悪を背負わされる。笑
イエスキリストの真逆版。可哀想!笑
【まとめ】
宇宙の乱気流によってタイムトラベルした訳だけど、あのシーンのCGが90年代っぽい!
2000年代の作品なんだけど、90年代のB級アクション感があって味がある♪
ラストのオチはパラレルワールドに行ってしまった!と解釈しているけど合ってます?笑
『猿の惑星』シリーズで無かった事にされている本作そのものがパラレルワールド!笑
作品の評価を事前に把握していたかのような展開でした。別の意味で衝撃のラスト。笑
あと作曲家がダニーエルフマン。どうりでサムライミ版『スパイダーマン』 みたいなオープニングな訳だ!
『最後の猿の惑星』
旧シリーズ最後です!ラスト10分を変えれば傑作になり得たのに何故、このラストを選択したの?ちょっとおれの考えたラストを聞いてください。*
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【大まかな構成】*
・シーザーの話を神話扱いとし、それを子供達に教育しているスタイルで物語を進行させる。具体的に誰に教育しているのかは伏せたまま物語スタート。その事で猿と人間の関係性がどうなるのか緊張感を与えたまま話を進行できるし、戦ったりするのでラストにどうなるのかを考えさせる様になっている。*
そして最後に猿と人間、両方の子供達が生徒であった事を明かし、共存しているハッピーエンド(?)な完結を迎える。*
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しかし本作より未来に当たる1作目で共存は出来ていないし、2作目では争いにより地球が滅亡した。なのでここでハッピーエンド風にする事に意味は無い。*
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【シーザーの像が涙を流す】*
・それは映画の枠を超えて、動物と人間が共存出来ていない現代の人間社会に対しての涙だと解釈しています。観客に訴えているのでしょう。*
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だけど説得力が無い!上記した1、2作目の展開を考えると本作のラストは一時的な平和であって、それは本作の冒頭と同じ状況。*
そう考えると本作が始まって終わるまで何も状況は変化していないんです。
とある場面だけを抜き取って考えてみるとドラマ性があるが、1作を通して、もしくはシリーズを通しての本作の必要性は無い。1作目に繋がる前日譚ですら無いし。*
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【ミュータントの先祖と核戦争の疑問】*
・2作目で登場するミュータントの先祖達が登場。廃墟となった人間の街で放射線を浴びながら生活している。それが原因で体が変化し特殊能力を得た訳で、アメコミみたいですね♪*
(悪い意味では無い。)*
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ここで疑問なのが4作目で勃発した猿vs人間の戦争。なぜ核兵器を使ったのに人間は負けたの?ここが不思議過ぎる。*
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【衣装について】*
ミュータントの先祖は2作目のミュータント達と同じ頭巾を被っている。彼らが先祖である事を観客に視覚で伝えているのだろうけど、おかしい!猿達も1作目と同じ服を着ている。1、2作目とは1000年近く時代の差があるのにファッションが変化していないのはおかし過ぎる。*
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猿達に限っては、この時にはすでにチンパンジー、オラウータン、ゴリラと種族の違いで服の色を分けています。シリーズ通して猿類の差別がどうこう言ってるけど、こういう区別を1000年以上もしていたら、視覚から脳に働きかけ、無意識のうちに差別の考え方が根付いてしまう。*
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【最後の戦い】*
・猿の領土内に侵入してきた人間達。遺体だと思っていた猿達が急に立ち上がり一斉に攻撃!あの場面で多くの猿達が死んだフリをしていたとはあまりにも不自然な作戦だし、引っかからないだろ。人間達は車で進軍しているのに時速10キロほどで徒歩の兵士とスピード同じだし、そりゃ狙い撃ちされますよ。*
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【本作のドラマを抜き取る】*
ゴリラのアルドーが息子を殺したと知ったシーザーは『猿は猿を殺さず』の掟を破ったとして責める。そしてシーザー自身も『復讐なら許される』と正当化して同じ掟を破る。*
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これまで同類を殺すのは人間だけだ!と非難してきたが、なぜ人間がそうなってしまったのかを自身の体験によって理解させられたシーザーでした。猿だからとか、人間だからと言うものではなく、何の生き物だろうが、ある程度の文明を築いた生物であれば何でもそうなってしまう事が証明された。3作目の動物虐待に対する答えにもなっていると思う。*
*
*
【こうあるべきだったのでは?】*
上記の考察より、猿でも文明を築けば嫌っていた人間と同じ事をするようになる!と示された。シーザーは"善"に溢れた世界を作ろうとする中で、彼の考える"悪"になってしまった訳でそれが1作目に繋がる猿社会への皮肉。*
*
1作目のラストで人間社会が滅んだ事が衝撃的でした。本作はそれの逆バージョンをやれた訳です!3作目で人間達に革命を起こし平和な社会が出来上がりつつあったのに、人間と同じ道(同類を殺す)に踏み込んでしまった。その先に待っているのは猿達の滅亡ですよね。
現に2作目で領土を広げようと進軍して地球滅亡となっています。*
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本作のラスト10分ほどでそれを強調すれば、かなり良い映画になってましたよ!なのに何故、、、シリーズ完結篇でこの時代を選び、猿達の初めての"同類殺し"を描いたにも関わらず、現段階ではまだ猿と人間は共存しています!というラストは何が言いたかったのか。結局、その後どのように1作目の体制となったのかも不明なまま。*
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過去の物語を描く場合、未来に当たる作品に結び付く話を必ずやらないと行けない!なんて事はもちろん無いけど、それなら何の為に本作が必要だったのかが不明。シリーズ完結篇では無く、ただ単に6作目が作られなかっただけ。*
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#映画好きな人と繋がりたい #映画レビュー #猿の惑星 #最後の猿の惑星
『猿の惑星 征服』
前作でコーネリアスが述べた伝説がそのまま語られる。
【暗黒面に落ちたシーザー】
・本名はマイロだが"シーザー"と名乗り始める。そよ由来となるエピソードを始め、細部におかしい設定が数多くある。
物語の大筋は良いけど、それらを繋ぐ接続部となるエピソードが不自然。
シーザーは飼い主の死によって、怒りのリミッターが外れる事に。そのエピソードが不自然。猿に暴力を振るう人間を見ていたシーザーは我慢の限界で罵声を浴びせてしまう。
更には電気が流れる拷問台で死んだフリをしたシーザー。人間は心臓の鼓動を確かめるなりして死亡判断をしない。見た目だけで死んだと判断する。しかも遺体をそのまま放置。シーザーは夜になってまんまと脱出。各部屋のドアが開いたのも謎。
人間の支配者が言う。
『人間は猿から進化した。なので猿にも人間と同じ弱さがある。だから制圧する』と理不尽な事を言う。そしてそれに反発したシーザーは勝利!
【好きだったシーン】
・管理室に到着したシーザー。中にいる人間のリーダーを倒す為に、切断機でドアを開けようとしている。人間のリーダーは『ここで負けたら人類は終わりだ!猿の惑星になってしまう』と言う。"猿の惑星"と言った瞬間に音楽がジャーンと盛り上がる。そして切断機の跡がドアを覆っていく様子は、爆弾の導火線が燃えていく様子に似ている。タイムリミットが迫っている感があって良かった!
【人間を滅ぼす宣言】
・手助けをしてくれた黒人のマクドナルドさんが言う。『先祖が人類の奴隷だった私だからこそ言おう。暴力で自由は勝ち取れないぞ!明日は他の反乱が起きるかも知れない』
それに対しシーザーは皮肉で言い返し、社会や宗教など文明的な暮らしは全て、猿達の物にする!人間は滅ぼす!と断言する。
結局、猿が下克上した訳だけど支配者と奴隷がいる関係性は変わらない。人類史でも何度も繰り返されてきた事。それを1つの町を舞台に描く事で世界の縮図として分かりやすく表現。
ストーリーは微妙過ぎるが、暴力描写が多めなので、そこからの下克上物語はスカッとさせられる。
『新 猿の惑星』
明らかに利益の為に作られた映画ですよね。
【クオリティが低い】
①着ぐるみのゴリラ
・見た目の作り物感がヤバイし顔はマスコット。1971年の映画なのでCGは無いし猿と違って特殊メイクで表現出来ないと困った事でしょう。それにしてもこれは無いわ。
②謎のラブコメ
・猿達が過去(1971年)にやってきて人間社会に受け入れられるが最後には殺される話。
文化の違いがコメディ要素として描かれ、服を選ぶときの恥ずかしくて観ていられない投げキッス!何これ?
【メッセージ性が弱過ぎる】
・何でもメッセージを求めるのは良くないと思う。単なるエンタメ映画として、何も考えずにサクッと楽しめる作品だったもちろんある。
しかし本作はメッセージやテーマを持った作品として作られている。過去作同様、人間社会を批判する内容で、今回は主に動物虐待を取り扱う。だけど台詞で登場するだけで、それを暗示させる具体的なエピソードは一切無い。
(唯一、観客に向けたメッセージ?)
逃走中の猿夫婦が捕まらずイライラしている捜査官。他の捜査官が『いずれ捕まりますよ♪』となだめる。するとイライラ捜査官がこう言う!
『いずれ?人口抑制、戦争終結もいずれ解決させると言う。世界の危機が近いのに誰も心配しない。』
そのストレートなやりとりは好きでした(^^)
【最大の汚点】
ラストの展開が取り扱っているテーマとリンクしていない。人間の都合で殺された猿夫婦の事を考えると、そこに残酷さを感じさせる事で動物虐待のテーマを表現しているのでは?とも考えられる。
しかし、このパターンはテーマを表現した脚本では無く、2作目の主要キャラが全滅するパターンに似せただけだろう。
何故なら動物虐待を否定していた猿夫婦がそれをやっているから!猿夫婦は、自分たちが人間を解剖したりしていた事を思い出し、人間が悪で猿が善という猿社会の考え方は間違っており、種族に関係なく支配側になった生物は他の生物を虐待するものだと気付く。
更には、それを言い訳に自分達の行いを正当化する事も無く、素直に反省をする。はい、ここまでは良い。
なのに自分の子供を守る為にサーカスのチンパンジーの子供と入れ替えるんです。物語上、皆殺しにされ希望が消え失せたかのように見えたその時!実は後のシーザー(猿達の救世主)は生きていた!あの時、サーカスに紛れ込ませていた!と最後のオチとしてこの話が登場する。
●伏線となっていたシーン
・知能が高く話ができる猿の母ジーラは通常の知能であるサーカスのチンパンジーが『同類だから理解してくれる』と言って檻に入る。何も知らないチンパンジーは子供を抱いたまま隅っこに座っている。
ここでシーンは変わるんだけど、明らかにこの後、母親の手から子供を奪っている。結果、殺されたんですよ?何も罪のない動物が。子供を奪われた母親はどんな気持ちだったでしょう。
残酷すぎる。
動物虐待を否定する映画で、主人公(猿の夫婦)は自身の過ちを反省する。しかし人間から追われる事に。自分達がしてきた事がそのまま返ってくるかのように。
物語としての構成がバッチリ出来上がっている。しかし動物虐待をしているラスト。それに制作側は気付いておらず、あっと驚くラストの展開を描いたつもりでしか無い。浅はか過ぎる。
『続 猿の惑星』
1作目に続編を与えるのは大変だった事でしょう!主人公が猿達にやられる仕打ちは、人間社会を批判するものでないといけない。ただ単にパニック映画になってはいけない。その上、前作以上で無いとダメ!
何よりラストの展開を前作以上のものにするって大変過ぎるでしょ!笑
【権力と暴力】
猿夫婦の会話に『私達チンパンジーは大人しいけどゴリラは凶暴だ』『我々も力を持ったらそうなるのかも。』とある。
1作目では、人間が支配される側になる事で、普段やっている事がどうなのか!と客観視できる物語でした。本作ではこの会話が示す通り、作者側の考えを付け加える事で、1作目よりも更に踏み込んだ問いかけをする作品になっている。
またゴリラが未開の地を侵略しようとする物語は人類史における戦争を表しているし、はっきりと核兵器が登場!笑
だいたい他の作品では指輪だったりストーンだつたりと何かに例えて登場するんだけど本シリーズは、どストレート!
【ミュータントと主人公の設定】
原爆こそが平和をもたらすと信じ、神として崇めているミュータント達。圧倒的な力を持っているので即勝利!イコール平和!って事なんでしょう。
それとは真逆で原爆は破壊しか生まないと主張する主人公ブレントは現代社会(70年代)の国民に支持を受ける平和主義な考え方。
つまり他国VSアメリカでは無く、アメリカ政府VS国民を表現しているように思える。
他の映画で良く評論されている通り、ベトナム戦争における社会性を描いているのかな?
【ラストの展開】
主人公ブレントは前作の主人公テイラーと共に、地球を救う為に立ち上がる。
前作のレビューで言った通り、テイラーは主観では無く、客観論するキャラなので『あいつらを救う意味はあるのか?』と言う。
更には人間の村を作ろうと考えていたテイラーに取って大事な存在(愛では無い)であるノバが殺される。あの瞬間にノバが『テイラー!』てしゃべる事もポイントですよね!
言葉を発する事が出来たんです!人類に希望が見えた!その瞬間、銃殺される。そんなテイラーに取っての絶望は地球の絶望へと発展する。
1作目ほどの衝撃は無いが、主要キャラが何の前触れも無く殺されて行き、地球そのものが滅亡してしまうとはここまで雑(褒め言葉)な終わらせ方は無い♪
その雑さが核兵器を否定する完璧なメッセージだと思う。ただ台詞で『戦争はいけない。核はいけない。』なんて言われてもそんな事は分かってる!
【まとめ】
1作目には敵わないけど、ある程度は続編として期待していた形になっているのでは無いかな?と思う。
ミュータント達がテレパシーが使えるくらい高度な生命体であるにも関わらずカルト級の宗教団体であったり生活のテクノロジーが追従していない点、何なら1970年代の建物にそのまま住んでいるとは謎過ぎる!笑
舞台は3000年代ですよ?ちょっと設定は悪い意味の"雑"さがある。
それでも大好きな作品ですけどね(^^)