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サラヤは、公共施設やオフィスの洗面所にある緑色の薬用せっけん液や、台所用「ヤシノミ洗剤」で知られる衛生・健康関連メーカー。創業者の更家章太(現顧問)に始まる「人間と自然との共生」を企業理念に自然由来の成分を使った商品開発にこだわり続けてきた「自然派」企業だ。そんなサラヤは、2004年、原料であるパーム油をめぐる環境問題に直面、2代目社長の悠介は、環境保護活動にも力を入れ始める。「消費者と環境に本当に優しい商品づくりとは何か」を常に問い続け、「自然派」に、こだわり続ける、サラヤの挑戦に迫る。
ガラスメーカーとして世界1,2を争う「旭硝子」。住宅やビルに使われる板ガラスや自動車の窓ガラスなどが中心だが、800?の重さに耐える強化ガラスや、低反射で映り込みがほとんどないガラス、熱を吸収するガラス、さらには紙より薄いガラスなどなど、高い技術力で様々な機能を持ったガラスも生み出している。社長の石村和彦は「ガラスは本当に可能性がある素材」だと話す。世界的に見てもガラスの需要はGDPの伸びとともに拡大している。需要が拡大しているものの一つがスマートフォン。表面はガラスのため、落としたりして割る人が後を絶たない。そこでドラゴントレイルという8倍の強度を持つガラスを開発した。こうしたガラスを生み出すのが、ガラス材料やコーティングなど39分野の技術者たち、その数5000人以上。こうした技術者を有効活用するため、スキルマップという人材検索システムを導入。能力やレベルに応じて、優秀なスタッフを適材適所に配置することが出来る。技術者集団、旭硝子のモットーは、創業者の「易きになじまず 難きにつく」という言葉。安易な道に走るのではなく、困難でも克服すればより大きな果実を得られる方を選択せよという意味。社長の石村も技術者だった25年前、液晶用ガラス工場を建設する際に、先行するアメリカの会社の特許を使うのではなく、自らが設計した新しい機械で挑んだという経験があった。1年以上にわたって成果が得られなかったというが、その後、現場の人間と力を合わせて乗り切り、今では液晶用パネルは会社の利益の9割をたたき出すまでに成長した。創業者の言葉が今も脈々と生き続けているのだ。さらに今、新しい戦いも始まっている。舞台はサッカーのW杯が開かれているブラジル。旭硝子は選手が座るベンチを提供。あのドラゴントレイルや低反射ガラスなどの技術をふんだんに織り込んだガラスルーフベンチは、世界に旭硝子の名前をPRするのに一役買っている。そしてブラジルを攻める理由がもう一つ。これまで日本や欧米など先進国でビジネスを展開してきた旭硝子だが、南米は空白地。経済成長著しいブラジルをまずは攻めるため、サンパウロに新工場を建設したのだ。日本で磨いた製造技術で新市場の開拓に挑む。石村はいう。「ガラスにはまだまだ無限の可能性がある。これからも進化し続ける」と。
埼玉県日高市に、年間400万もの人が訪れるサイボクハムこと、埼玉種畜牧場。東京ドーム約3個分の広大な敷地に、レストランや直売所、カフェテリア、ハム・ソーセージ工場などがある“豚のテーマパーク”だ。豚肉の品種改良を自社で手がけ、“とびきりうまい豚肉”を作り続けているサイボク。その原点には、“近代養豚の父”と呼ばれ、養豚業の発展に寄与した創業者の存在がある。だが田舎の養豚場に過ぎなかったサイボクを大人気スポットに変えたのは、現社長の笹崎静雄だ。養豚業のままでは未来はないと、“豚づくし”で客を呼ぶ仕掛けをつくった。“ブタに人生を賭けた男”笹?のユニーク経営に迫る!
街でよく見る黄色い看板、時間貸駐車場の「タイムズ」。全国に1万4000ヵ所とダントツの業界1位だ。そのタイムズを展開するのは「パーク24」という会社。350人を超える営業部隊が日々新規駐車場を開拓し続けている。その数、年間7万台分。更地だけでなく閉店した店舗跡地も重要な候補地となる。さらに行列のできるラーメン店や工事現場など、人の集まる場所の近くに作るのも鉄則だ。また料金を決めるのも営業部隊。目と鼻の先でも少しずつ料金を変え、稼働率を上げている。さらに、最近では役所や銀行など既存の施設と提携するなど25期連続で増収を達成。年商は1500億円を超える。率いるのは、2代目の西川光一社長。10年前に創業者の父から会社を受け継ぎ、売り上げを3倍に伸ばした。「常に駐車場の事を考え、進化させたい」と話す西川。その秘密兵器がTONICと呼ぶ独自のオンラインシステム。全国のタイムズとつながり、客とのやり取りやトラブル処理、さらには区画ごとの売り上げまで把握できる優れもの。実は11年前、まだ営業担当だった西川が導入したものだ。その頃、駐車場の数は3000ヵ所にまで増えていたが、オンライン化されておらず稼働状況が全く分からなかった。そこでこのシステムを先代に提案したところ却下される。当時の売り上げが20億円のところ、40億円の投資が必要だったのだ。西川は折れない。直訴すること3度、ようやく認められた。自前にこだわったこのシステムは、駐車場が1万4000ヵ所を超えた今も威力を発揮し続けている。そんな西川に村上龍は「創業者と2代目の役割の違いは」という質問をぶつけた。すると「0から10にするのが創業者。10から100にするのが2代目の役割」という答え。かく言う西川の10から100にするビジネスが、5年前に参入したカーシェアリング事業。車を全国の自前の駐車場に置けるという優位点や車種や台数を一気に増やしたことで、後発ながらトップに立った。さらに西川が見据えているのが、サービス業としての駐車場。おもてなしを重視した駐車場作りを目指しているのだ。駐車場のイメージそのものの変革に挑む2代目の戦いは続く。
赤字に陥った年商 3700億円の大阪の老舗メーカーの社長に就任して、その企業を20年で売上高1兆7800億円を誇る世界企業へと成長を遂げさせた、ダイキン工業の井上会長をゲストに迎え、その奇跡の改革の真髄に迫る! 国内の中堅メーカーに過ぎなかったダイキンを世界企業へと躍進させた井上改革。 そこには全く常識にとらわれない柔軟な戦略と、果敢な挑戦に実現できる圧倒的な人材力にあった。驚くべき人材力を生み出した、ダイキン井上改革の秘密に迫る。
東京スカイツリーの中に「レムソンズ」というアイスクリーム店がある。セルフサービスでアイスを盛った分だけ量り売りという、これまでにないコンセプト。東京を中心に4店舗を展開する。この人気チェーンをつくったのが、栗原幹雄。高級バーガー「フレッシュネスバーガー」を創業した男だ。大手チェーンとは一線を画す、“手作り感”と“個性的な店作り”で、今も業界で独自の地位を占めている。そんな栗原は、大学時代に建築を専攻し、積水ハウスに就職。現場監督を務めるなど、建築のイロハを学ぶ。最初の転機は26歳の時。義兄から突然呼び出され、「会社を辞めてこれまでにない飲食店をやろう」と誘われる。このまま定年まで一流企業で安定した人生を送ることに疑問を感じていた栗原はこの話に乗る。そして2人で立ち上げたのが「ほっかほっか亭」。冷めた作り置きの弁当が当たり前だった時代、出来たてのあつあつ弁当を提供して大人気に。4年で1000店を突破するなど、ほか弁ブームを巻き起こした。栗原は店の設計を始め、物件探しからマニュアル作り、調理器具の調達まで、飲食業に関わるすべての仕事を経験する。会社も順調に成長し、役員を務めていた40代のある日、人生最大の転機が訪れる。物件を探していたところ、東京・渋谷区の住宅街にある一軒家に出会う。その瞬間、「これはアメリカで見たハンバーガー屋だ!」とひらめく。すぐさま家に帰り、一晩で店の設計図を書き上げた。それがフレッシュネスバーガー一号店だ。その後、フレッシュネスバーガーも大成功。しかし栗原は、役職も株も全て手放した。「業態を生む方が好き」と、新たにベンチャー企業を立ち上げたのだ。「レムソンズ」を皮切りにワンコインピザなど、次々と新しい業態を生み出している。そんな栗原のアイデアの源泉は、日課の映画鑑賞。早送りでひたすら服や建物などを見てセンスを磨いているのだ。それは実際の店作りに反映されている。その栗原の新たな仕事が“再建請負人”。吉野家ホールディングスの子会社にグリーンズプラネットという会社がある。たい焼きや軽食など14の業態を持つが、どれも特徴を出せず、4期連続の赤字。吉野家HDの安部会長が直々に栗原に再建を託したのだ。早速乗り込んだ栗原は、定番メニューを強化したり、店のデータをリアルタイムで見える化したりと改革を進め、1年で黒字化に成功した。そして今はフードコートを一括して請けるプロジェクトに取り組んでいる。外食・伝説の仕掛け人、栗原の新たな挑戦が始まった。
新潟県三条市のキャンプ用品メーカー、スノーピーク。“スノーピーカー”という熱烈ファンを生んでいるほどの人気ぶり。強豪ひしめくアウトドア業界で、なぜスノーピークは急成長しているのか?「これまで世の中にないものを作る」。社長の山井太は、商品作りの極意をこう語る。そして、そんな“究極商品”を生み出すのは、「超」のつくほどキャンプ好きの社員たち。「こんなの欲しかった!」とユーザーに言わしめる、スノーピーク流“客感動”戦略に迫る!
首都圏の駅前に10日に1店舗というペースで出店攻勢をかけているラーメンチェーン「熱烈中華食堂・日高屋」。中華そば390円、ギョーザ6個で210円、500円台からの定食と、安さとメニューの豊富さが受けて人気。現在325店舗を展開している。これを一代で築いたのがハイデイ日高会長の神田正73歳。自分の店のラーメンを評して「普通」。「毎日来てくれる客が多いからあっさりなんです」と言ってのける。神田が初めてラーメン店を出したのが40年前。埼玉の大宮駅前の5坪の店だった。駅前立地に加え、当時では珍しい深夜まで営業したところ大盛況。この成功を見て駅前のチェーン展開を思いつく。今では9割以上が駅から5分圏内にある。しかし、一般的に駅前の物件は家賃が高め。なぜ安さが売りなのにペイできるのか。夜、店を訪ねてみると、サラリーマンたちが仕事帰りの一杯を楽しんでいた。日高屋は酒とつまみも充実させている。これがちょい飲み需要を喚起し、酒類の売り上げ比率は15%と他の中華料理店などと比べ3?5倍。利益率の高い酒を売る事で高い家賃をカバーするのだ。
千葉県南房総市に注目される観光施設がある。それが「道楽園」だ。『寿司』『海鮮丼』『海鮮浜焼き食べ放題』などの専門店が軒を連ね、多くの客で賑わっている。人気の理由は、“新鮮な魚を格安で食べられる”こと。しかもそれぞれの店が魚の専門知識を熟知。もっとも適した方法で“魚”を提供しているのだ。この「道楽園」を経営するのが千葉県鴨川市に本社を置く「ヤマト」グループ(創業35年、年商90億円)。南房総で、産地仲買から卸業、さらに小売り・飲食店と『魚に関するすべての事業』を手掛ける総合水産会社だ。これを一代で築き上げたのが、代々続く漁師一家に生まれた鷹松募。船酔いのため、漁師は断念するが、寿司屋での修行、さらに行商と、常に魚に関わって生きてきた。漁師・卸・小売りと全ての視点を持つのが鷹松の強みだ。実はその鷹松、いち早く地魚を世に出してきた人物でもある。“売り物にならず、漁師が自家消費していた雑魚”に目をつけ、“地魚ブーム”を生み出したのだ。しかし、現在、日本の漁業は、高齢化と後継者不足に悩み、衰退の一途。そこで鷹松は、漁師とともに、地魚を中心に付加価値を付ける活動を展開。その活動は、地元千葉にとどまらず、遠くは北海道と、日本全国に広がりつつある。魚を知り尽くした男が語る、ニッポン漁業を儲かる産業にする手法に迫る。
誰もが一度は聞いたことがある「ミドリムシ」。実は虫ではなく藻の一種だ。光合成ができるという「植物」の要素と、自分で動ける「動物」の要素を併せ持つ珍しい生物。しかも、59種類の栄養素を持つ。このミドリムシが今、ものすごい勢いで世の中に広がっている。豊富な栄養素に目をつけ、イトーヨーカ堂などがミドリムシ入りの食品を積極的に展開。さらに、いすゞ自動車はミドリムシから採った「油」をバスの燃料として使う実験を始めた。そして、火力発電所ではミドリムシが光合成でCO2を吸収するという試みも…。「栄養」から「エネルギー」、「環境」まで、人類の問題を幅広く解決する可能性を秘めたミドリムシ。それを大量生産する世界唯一の企業がある。2005年に創業したばかりの東大発ベンチャー企業、ユーグレナだ。この会社が、世界で初めてミドリムシの「大量培養」に成功し、ビジネスとして成立させた。率いるのは出雲充34歳。その原点は発展途上国のバングラデシュ。大学時代に訪れた際、子ども達が栄養失調に陥っている実態を目の当たりにする。“魔法の食糧”を探すため、文系から農学部に転部までした出雲。そこで出会ったのが、大学の後輩・鈴木健吾だった。鈴木からミドリムシの話を聞き、二人三脚で研究を始めることに・・・。だがその大量培養は至難の技だった。食物連鎖の一番下に位置し、しかも栄養豊富なミドリムシは雑菌の格好の餌食。出雲たちは全国に散らばる研究者たちに頭を下げ、過去の研究成果を聞き取った。その中で見つけ出した理論を元に、ついに世界初の大量培養に成功した。その後、サプリメントとして商品化したが、ミドリムシという名前から虫と勘違いされるなど、「明日にも倒産する」という日々を2年以上も送った出雲だが、伊藤忠商事との取り引きが決まった事で息を吹き返し、2012年には東証マザーズに上場を果たす。今もミドリムシ研究で世界最先端を走るユーグレナ。地球上には100種類以上ものミドリムシが存在し、それぞれ「油分が多い=燃料向け」、「タンパク質が多い=食品向け」など、異なる特性を持つ。出雲の大学時代からの「相棒」で研究開発責任者・鈴木を先頭に、きょうも日々、人に役に立つミドリムシ研究が続いている。10月末。バングラデシュの貧困地域にある小学校。ここで子供らにユーグレナのミドリムシクッキーを配る出雲の姿があった。ユーグレナは今春から「自社製品が1つ売れたらクッキー1食分を子供に寄付する」プロジェクトを始めた。現在2500人の子供らに毎日クッキーを配っているが、出雲は「100万人まで歯を食いしばって頑張る」と宣言する。究極の目標は、やがてこのクッキーが他の貧困国にも普及し、世界から栄養失調をなくすこと。出雲の全ての原点・バングラデシュで、夢は少しずつ形になり始めている。
虫歯の時などにお世話になる歯科医院。いまや全国6万8000カ所、コンビニより約1万4000カ所も多くあるという。 その背景にあるのが歯科医師の急増だ。歯科医師の数は、いまや国内で10万人超。ニッポンの歯科医療界は、まさに“過当競争時代”に突入している。しかし、その一方で、歯科医療を受けられない人も増え続けている。 歯科医院に通院するのが困難な体の不自由な高齢者の数は、250万人以上とも試算されているという。 「医療が必要なのに十分な医療が受けられない」その現状に目を向け、立ち上がった男がデンタルサポートの寒竹だ。 寒竹は、歯科医院の経営から転身し、「歯科医師」と「高齢者」の双方の問題を解消する画期的な訪問歯科の仕組みを作り上げた。それがデンタルサポートの始めた、歯科医と患者のマッチング。診療スケジュール、機材、移動などの管理、さらには診療支援など、訪問歯科診療に関するバックヤードの全てを担う独自のシステムだ。 開業歯科医の経験を持つ寒竹を筆頭に、超高齢社会に立ち向かうデンタルサポートの挑戦に迫る。
1996年のサービス開始から18年…今や閲覧数は月間600億を超え、日本最大のポータルサイトとして親しまれる「Yahoo!JAPAN」。 単なる“検索サイト”ではなく、日々のニュースや天気などの情報、ショッピングにオークション…その圧倒的存在感は、国民的インフラと言っても過言ではない。 そんなヤフーのトップに2年半前に44歳という若さで就任した宮坂社長は、組織が巨大化しすぎ保守的になりがちだった社風を、パワフルな経営改革で果敢に攻める “新生ヤフー”へと導きつつある。 番組では、ほとんど知られていない強さの秘密を徹底取材。 ヤフーを“課題解決エンジン”と位置づける宮坂社長に「ネットの本当の可能性」について聞く。
日本人が大好きなイカ。イカ漁は今が旬。北海道・羅臼には全国からイカ釣り漁船が集結していた。そのほとんどに搭載されているのが東和電機製作所が開発した「全自動イカ釣りロボット」だ。かつては、漁師が「シャクリ」と呼ばれる手の動きで、疑似餌を魚に見せかけて釣り上げていた。それをイカ釣りロボが、コンピューター制御で再現。次々にイカを釣り上げていく。漁師の数は激減しているが、このロボのおかげで、たった1人で漁が出来るようになり、漁獲量も飛躍的に増えた。さらに、料理屋向けの「活イカ」など、新たなイカの流通をも生み出した。東和電機のイカロボは日本で圧倒的なシェアを誇るとともに、世界各地にも輸出。そのシェアは7割と、小さなグローバル企業なのだ。
2015年初回は「医療の未来を切り拓く挑戦者たちSP」。脳卒中などで歩けなくなった人々の願いは“再び自分の足で歩きたい”ということ。そこで注目を集めているのが“ロボットスーツ”による機能回復トレーニングだ。「HAL」と呼ばれる装置を体に装着すると、人の意思をセンサーで読み取って足の動きを補助してくれる。トレーニングの結果、自分の足で再び歩けるようになった人もいる。現在、500体が全国160の医療機関などに導入された。さらにEUでは医療機器として正式に承認され、本格的な“治療”も始まっている。HALを生んだのが、筑波大学大学院教授にして、ロボットベンチャー・サイバーダインのCEO山海嘉之氏だ。「科学は人の役に立ってこそ意味がある。人のため社会のためにテクノロジーは使われるべきだ」という山海は、工学だけでなく、脳科学や神経学、さらには心理学など、様々な学術を合わせて、人の意思通りに動くロボットスーツを作り上げた。さらに開発は加速。小型でどこでも使える新型HALや、介護する人の作業支援用のHALなど、さらに人や社会の役に立つ開発を進めている。
年間300万人が訪れる人気の沖縄美ら海水族館。 最大の魅力は迫力満点の透明で巨大な水槽にある。 高さは8.2m、幅は22.5m、テニスコート程の大きさで、完成後の2003年には、ギネスに世界最大と認定された。世界から注目を集めるこの水槽を作ったのは、実は、従業員数、わずか86人の香川県にある「日プラ」という中小企業だ。 あまり知られてはいないが、2008年には「ザ・ドバイモール」の水族館でギネス記録を塗り替え、2014年1月には、中国・広東省の水族館で高さ8.3m×幅39.6mの水槽パネルを作り、三度もギネス記録を更新してきた。 四国の田舎町にあるこの中小企業「日プラ」に、いまや世界の名だたる水族館からオファーが殺到。水族館用大型アクリルパネル「アクアウォール」で世界シェア7割を誇り、納入実績は世界60か国を数える世界的企業に成長している。 地方の中小企業を世界が注目する企業に変えた、日プラ・敷山哲洋社長は、なぜ地方メーカーを大きく変貌させることができたのか?世界で勝てる“ものづくり会社”を生み出した経営手腕とベールに包まれてきた、その極意に迫る!
家や壁といった身近なものから、自動車や列車、さらには東京タワー、石油タンクに至たるまで、あらゆるモノに使われている“塗料”。美観だけでなく、サビ止めや遮熱効果など、様々な“塗料の力”が私達の生活を支えている。その塗料業界で、国内トップ企業が「関西ペイント」だ。特に自動車塗料の分野ではシェア50%を誇る。社長は石野博。元三菱商事の商社マンだ。その石野、「メイン事業の自動車塗料に頼り過ぎていてはいつか限界がくる」と常に危機感を抱いている。その打開策が“付加価値塗料”の開発。最近のヒット商品は「アレスシックイ」と呼ばれる塗料。日本古来の「漆喰」を塗料化したもので、「脱臭」や「湿度調整」などの効果がある。本来の「漆喰」は原料も高く、左官技術も必要だが、これを塗料化して誰でも塗れるようにした。これが受けて一般家庭でも使われるように…。脱臭などの効果に加え、最近では、インフルエンザ菌の繁殖が抑えられるという効果も分かり、病院や保育園などを中心に需要が増加。私たちの生活にも役に立つ新塗料を次々と生み出している。
政府が“観光立国”を掲げてから11年。海外から日本を訪れる観光客は年々増加して、2014年に、ついに1300万人を超えた。しかし、その数字を世界で比較してみると、同じ島国「イギリス」の3分の1程度の水準に過ぎないという。なぜ、ここまで力を入れているのに、日本観光はブレイクできないのか…。そんな問いにひとつの答えを出した男がいる。 鹿児島の山中で1泊20万円の宿を経営する、田島健夫。もともとは、1泊3食付で3500円という作業員向けの激安宿を経営していた人物だ。名所旧跡などがあるわけでもなく、近くに観光スポットがあるわけでもない、寂れた温泉地。田島はたった一人で、その激安宿を、海外セレブが注目する“自然と地域性に、こだわった高級旅館”に変えたのだ。観光業の常識を打ち破る田島の独自戦略の全貌に迫る!
業界を揺るがした輸入牛肉の自由化や大洪水の被害…そんな逆境を乗り越え、世界から注文が殺到する“和牛”を育てる男がいる。 鹿児島県薩摩川内市で和牛の大規模肥育を営む野?喜久雄、65歳だ。 もともと地方の小さな牛の肥育農家だった野?は、これまで数々の逆境に見舞われてきた。だが、そんなピンチの中でも1次産業にこだわり、その都度、打開策を打ち出して成長を実現させてきた。驚くべきことに、野?の経営する農業生産法人で育てた牛は、肥育期間が通常よりも約3ヵ月短く、病気になる数も大幅に少ないという。そして、国内の牛肉コンクールでは数々の賞を受賞してきた。 なぜ、野?は、同業者がうらやむ牛を育てることができるのか?そして、苦難にさらされながらも1次産業にこだわってきたのか? 世界が注目する和牛王「野?」の不屈の経営術と、野?が生み出した独自すぎる牛の育て方を徹底取材した。
松坂屋,伊勢丹,大丸…全国の名だたる高級百貨店のデパ地下で、1つ3000円のジャムや1000円のジュースが飛ぶように売れている店がある。その名は「セゾンファクトリー」。ジャム、ジュースだけでなく、ドレッシング、調味料など、最高級の素材を手で作る“本物”志向で、幅広い客層を掴んでいる。今や全国に約30店舗を構えるが、その本社を訪ねてみると、山形・米沢駅から車で30分の雪深い山の中。工場をのぞいてみると…、商品作りは、ほぼ手作業。素材の皮むきから加工、瓶詰めやラベル貼りに至るまですべて手でやっている。素材も地元・山形が中心だ。こだわりの農家が作った蜜たっぷりのリンゴは濃厚ジュースに。さらに雪の中でみずみずしい甘さを保った雪かぶり大根は、その日のうちに「すりおろしポン酢」として商品にする。セゾンファクトリー社長の齋藤峰彰。齋藤の実家は代々醤油を作っていた。大学卒業後、家業を継ぐために帰郷したが、父が多額の借金を背負い、実家は廃業。斎藤はジャムの製造で再起することにした。学生時代に長野で買ったジャムが強烈に美味しかったという素朴な理由と、おいしい素材なら山形にでもたくさんある、との思いから。蔵の片隅で、たった1人、一斗缶とガス台で研究する日々…。母の助言も得ながら、試行錯誤の末、納得のいくジャムが作れるようになったという。そして1989年実弟とともにセゾンファクトリーを設立。弟はその後他界するが、齋藤は志を今も貫き、ヒット商品を生み出し続けている。そんなセゾンファクトリーには全国から商品を作って欲しいという売り込みが断たない。去年12月、山形にやってきたのは栃木の農協。ブランドイチゴ“とちおとめ”をジャムとして商品化できないという相談だった。しかし齋藤は、栃木が開発したばかりの超高級イチゴ“スカイベリー”でジャムを作りたいと逆提案。自ら栃木に行き、素材にほれ込んだ齋藤は、超高級のイチゴジャムを作ることを決断する。そして、4860円という超高級イチゴジャムが完成したのだ。
明治時代に京都で創業し、2002年に、社員の田中耕一氏がノーベル化学賞を受賞し、一躍知られるようになった島津製作所。年商3000億円、エンジニア1400人の技術者集団だ。「見えないモノを見る!測る!」分析・計測機器を製造する専門メーカーだ。ノーベル賞を受賞した田中耕一氏の業績も、これまで“見えなかった”タンパク質を、分析計測できる方法を見いだしたことによるもの。実はそんな島津製作所、日本中のメーカーにとって、その商品開発の命運を左右する重要な役割を果たしている。美味しいビールの味から、低燃費のバイク開発に至るまで、島津の計測機器でいろいろなものを可視化できたからこそ可能になったものも多い。日本のものづくりを根本から支えている企業といっても過言ではないのだ。そんな島津製作所を起こしたのは、島津源蔵とその息子・2代目源蔵。元々仏具職人だった島津源蔵は、明治期に西洋から入ってきた「科学」に興味を持ち、科学を教育するための実験道具の製造に乗り出す。そして2代目源蔵は、日本で初めてのX線撮影に成功するなど、事業分野を医療、分析機器へ広げていった。日本最古のハイテク企業ともいえる島津製作所は、そんな創業者のDNAを引き継ぎ、革新的な技術に常に挑戦してきた。現社長の中本晃も、そんなDNAを受け継ぎ、大ヒット商品となった液体分析装置を開発したエンジニアだ。「製品は、開発するだけでなく普及して世の中の役に立ってこそ価値が出る」という信条を胸に、今日も見えないものを見えるよう挑み続けている。その島津が新たに生み出した最新鋭機器が今、医療に革命を起こそうとしていた。それが、島津製作所と浜松医大が共同開発した「iMスコープ」。通常、高倍率の顕微鏡では、そのものの凹凸などの形状は分かっても、実際に組織がどういった物質で成り立っているのかは、別の分析をしなければ分からない。それがこのiMスコープは世界で初めて、形状と中身を同時に見て分析することが出来るようになった。今期待されているのが“がん治療薬”の開発。これを使えば、がん細胞の位置や形と同時に、薬がどこまで細胞に浸透しているか、などが一目瞭然になり、治療薬や治療法の開発が劇的に進歩するのではないかというのだ。島津が取り組む「見えないものが見える」機器、その限りなき可能性を取材する。
2015年3月11日で、あの東日本大震災から4年がたつ。災害の記憶が薄らいでゆく一方で、被災各地では、急激な人口減少が起きていた。そして、住居や仕事の問題に見通しが立たないことも影響し、復興の現場では、必要な若い労働力が慢性的に不足。仮設住宅を離れられない高齢者の孤独死も相次いでいるという。そんな逆風が吹き荒れる被災地で、驚くべき挑戦に打って出たしょうゆ店があった。江戸時代から続く老舗のしょうゆ店・岩手県陸前高田にある「八木澤商店」だ。八木澤商店の9代目の河野は、被災直後から「社員を解雇せず営業再開を目指す」と宣言し、若い発想と行動力を武器に会社の再建に奔走している人物。そんな河野が目指した復興の形こそ「地元・中小企業のチカラの集結」だという。被災地が抱える問題は、今後の日本が直面する問題点を先取りしているとも言われる中で、河野社長は、どう被災地の課題を解決しようとしているのか?地方再生のヒントにも成り得る陸前高田で始まった感動の再生戦略。その全貌を徹底取材した!
夏は冷奴、冬には湯豆腐や鍋と、一年中食されている豆腐。最近ではダイエット食品としても注目を集める食卓の名脇役だ。しかし、その実情は、6000億円規模の市場を8500社の中小メーカーが競い合う、小競り合いの状態が続いてきた業界でもあるという。「豆腐作り産業は成熟産業。もはや、新たな成長は見込めない…」誰もが、そう思い込んでいた業界だったのだ。しかし、そんな豆腐業界で異彩を放つ企業が現れた。それこそ相模屋食料だ。「社内改革の断行で売り上げ4倍!」そんな驚異の成長を実現させて、あっという間に国内販売シェアでNo.1となったのだ。なぜ、相模屋食料は、誰もが諦めかけていた成熟市場で、突如抜きんでることができたのか?その仕掛け人こそ2007年に三代目社長に就任した鳥越淳司氏だ。業界の常識を打ち破る改革を次々に実行し、奇策ともいえる新戦略で、見事成功を収めた鳥越社長をゲストに招き、その型破り経営の極意に迫る!
地球上で安全な水を利用できない人は、7億人超に及ぶという。そんな世界の貧困地域に足を運んでは、汚れた水を安全な飲み水に変える中小企業経営者がいる。日本ポリグルの小田兼利だ。独自に開発した粉末を泥水に入れてかき混ぜれば、きれいな水になる…。独自開発した浄化剤の秘密は、納豆のネバネバ成分。耳かき数杯程度入れて混ぜるだけで、ネバネバ成分が汚れをからめ取って沈殿し、透明になるという。バングラデシュ、タンザニア、ソマリアなどに次々と給水設備を建設し、貧しい人々でも払えるような価格で浄化した水を販売。さらにスタッフを現地で雇用し、実演営業や集金などまで任せ、ビジネスを生み出したのだ。タンザニアでは、昨年小田が設置した給水所が、道の駅ならぬ「水の駅」として様々な人が集まる場へと変貌、独自の展開を見せていた。
愛媛・今治市にある農産物直売所「さいさいきて屋」。地元の言葉で「何度も来て」という店名の通り、客を圧倒する豊かな品揃えを目当てに、今や年間120万人の客が訪れる全国最大級の直売所として知られる。併設されたカフェでは、特大イチゴがギュウギュウ詰めのタルトが、飛ぶように売れていた。他ではお目にかかることができないアンバランスなスイーツは、地元の今治の食材を売り込むことが目的なのだ。そんな「さいさいきて屋」には、地元客だけでなく、わざわざ泊りがけで買いに来る熱狂的なファンもいる。一体なぜこれほど活況の直売所が、タオルと造船の町に誕生したのか。そこには、農家の高齢化という現実を逆手に取った独自の仕組みと地域経済をつなぐ核になろうという「規格外」の発想があった。
「髪を切るだけ、シャンプーなし」で「10分1000円」。19年前、この斬新なシステムをひっさげて登場し、いまや年間1700万人が利用するQBハウス。創業以来、18年連続で成長を続ける国内トップのカット専門店だ。なぜ10分で髪が切れるのか?なぜ、1000円で儲かるのか?そこには、絶え間なく変わりつづけてきた独自の進化があった!世界で585店舗を展開する巨大チェーンの知られざる時短ビジネスの全貌を徹底取材!
居酒屋大手の不振が続く中、絶好調のチェーンがある。大阪発の焼き鳥専門店「鳥貴族」だ。食べ物も飲み物も全て280円(税別)という料金設定と国産鶏肉を使用し加工は各店舗で毎日行う“こだわり”が人気で、「入店まで1時間待ち」も珍しくない。現在は毎週のように新店舗をオープンさせている。他店が価格を上げ下げする中、鳥貴族は18年間、「280円均一価格」を続けてきた。そのからくりと大倉忠司社長の「ぶれない経営」に迫る。
ぼろアパート、倉庫、日本家屋、デザイナーズマンション…。個性的な物件を取り扱う不動産サイト「東京R不動産」。従来の物件紹介は、価格や築年数、床面積などデータ中心だったが物件そのものの価値に注目。紹介ページには、「木箱の家」「小さな宇宙」などのタイトルが・・・。取り扱う物件は全て営業スタッフが足を運び惚れ込んだもの。厳選された物件に興味をもった客が集まってくるため、成約率も高いというわけだ。仲介だけではない。古い物件を大胆に改造するリノベーション事業も手掛けるほか、家を自分で改装したいという人向けに、こだわりの資材を販売する“ツールボックス”というHPなど、住まいに新たな価値を生む様々なサービスを展開している。不動産業界に新たな流れを生み出した「東京R不動産」は3人の男が立ち上げた。雑誌の編集者だった馬場正尊。デベロッパーでマンションの設計などを担当していた吉里裕也。さらに元コンサルタントの林厚見だ。
リーズナブルなメガネで、販売本数日本一を誇るブランド「JINS」。全国に281店舗を展開している。店内に並ぶ1200種類のメガネは、レンズ代込みで5000円から、高いものでも1万円(税別)と格安。しかも店で加工して、最速30分でメガネが手に入る。さらに、最近では、花粉症対策など、目がいい人にも役立つ「機能性メガネ」という新市場を創出。その中でも大ヒットとなったのが、パソコンやスマホの光から目を守る「JINS PC」。これで、さらなる急成長を遂げた。メガネ界に変革をもたらした仕掛人が、「ジェイアイエヌ」社長の田中仁だ。実は業界に参入したのは14年ほど前。しかも田中自身は目が良く、事業を手かげるまでメガネに縁がなかったのだという。群馬県に生まれた田中は1987年、地元で服飾雑貨の製造卸業を創業した。そして2000年。田中は、友達と共に韓国を旅行していた時、偶然、15分で出来る1本3000円のメガネと出会う。友達は大喜び。それを見た田中はビジネスチャンスを感じた。そこで2001年、福岡で1本5000円・即日渡しのメガネ店を出店したところ、予想以上の大ヒット。一気に店舗を伸ばした。しかしその後、ライバルも数多く出現。安さだけでは生き残れないと感じた田中はそこから「JINS PC」などの機能性メガネの分野に積極的に乗り出したのだ。それは今も健在。次々と様々な商品を生み出している。そして今年の秋、満を持して発売するのが、世界初の“自分を見るメガネ”「JINS MEME」。鼻パッドと眉間部分につけられた3つのセンサーが眼球の動きやまばたきなどを感知するというもの。それを分析すると、自分の体の状態が客観的データで見ることが出来るのだ。いろいろな分野で活用が期待されているが、その一つが車の“居眠り運転防止”。眼球の動きなどのデータを自動で検知して疲れや眠気の度合いを解析。眠気の兆候をキャッチしたらアラームが鳴るというような研究が進んでいる。この他にも、ヘルスケア分野でも検討が進んでいる。
GW期間中の人気観光スポットの一つとして親しまれているフラワーパーク。似たような施設は各地にあるが、実は、経営的に成功をしているのは少ないという。そんな地方のフラワーパークを年間100万人の集客を誇る人気スポットに再生させたのが異色の経営者、塚本こなみ。日本初の女性樹木医として知られる存在だが、実は、フラワーパークの再生請負人としても業界内で注目を集めている。実際、客足が伸び悩んでいた栃木県の「あしかがフラワーパーク」では園長就任後、たった1年で黒字化を実現。その後、来場数を5倍にまで増やした。そして、静岡県の「はままつフラワーパーク」では、理事長就任前まで30万人に満たなかった来場者を2年で77万人に増やしてみせたのだ。なぜ、塚本がトップに就任するとフラワーパークは再生するのか?「感動」をキーワードにフラワーパークの再生を実現させる塚本の「感動分岐点を超える園作り」に迫る。
和食の象徴“すし”。しかし今は回転寿司が主流で、昔ながらのすし職人は減る一方だ。しかも“飯炊き3年、握り8年”といわれる厳しい修業の世界は現代に合わず、後継者不足から店をたたむすし屋も少なくない。そんな中、すし職人を次々と輩出している異色の学校がある。「東京すしアカデミー」だ。“見て盗む”世界だったものを、講師が手取り足取り教えるスタイルを導入。素人でも最短2ヵ月ですしを握れるように仕立てあげるという。2002年の開校以来、これまで3000人の職人を送り出した。授業料は2カ月コースでも約86万円。決して安くないが、魚の捌き方から、シャリの扱い方、さらにはカウンター内での立ち振る舞いまで、徹底して実践的な指導をしてもらえると人気だ。設立した代表の福江誠は、元経営コンサルタント。すし店の経営指導をするうちに、すし職人がどんどん減少し、町のすし屋が廃業していく現実を目の当たりにし、このすし職人養成学校を思いついたという。福江の読みは時代にフィット。今や卒業生は日本のみならず、世界50か国で活躍している。さらにシンガポールにもアカデミーを開設。そこではすし以外の和食も教えている。正統派の和食が世界に広まれば、いずれ日本にとって大きな武器になるはずだと考えているからだ。
日光東照宮の華麗な陽明門を修復する小西美術工藝社は、300年以上の歴史を持つ老舗の職人集団だ。その社長は、なんとイギリス人。しかも、1990年代に日本の大手銀行の不良債権を鋭く指摘した凄腕の銀行アナリストとして知られた人物だ。ひょんなことから社長に就任したが、「伝統」の名の下にどんぶり勘定で、倒産の危機にあった職人の会社を大改革した。さらに、観光立国を目指す日本の切り札は、貴重な文化財だと主張する。知られざる文化財修復の世界に身を投じた、日本を愛するイギリス人の「伝統」改革と提言とは?
ランチの平均客単価1200円以上。それでも連日、大行列ができる飲食店がある。牛たん・麦とろ飯で知られる「牛たん専門店・ねぎし」だ。圧倒的なリピート率と高い顧客満足度を誇る人気店で、その接客ノウハウは、あのトヨタまでもが参考にしているという。不振が噂され、人材確保もままならない外食産業で、低い離職率と高い満足度を生み出す「ねぎし」。“外食の奇跡”とも言われる「ねぎしの独自すぎる経営術」を徹底解剖する!
街の中心に住宅を集約する、北海道・夕張市の「コンパクトシティ計画」が注目を集めている。人口減に備えた意欲的な取り組みで、陣頭指揮するのは東京都職員から転身した若き市長。一方、30年前「人口減で村が消える」との危機感から島根の村民が金を出し合って作った「住民株式会社」は、卵かけご飯専用醤油ブームを巻き起こした。ともに挑戦の原動力は、地元を愛する気持ちだ。人口減社会に立ち向かうヒントは、田舎にこそあった。
日本最古の温泉といわれる「道後温泉」。その一角に、女性に大人気の宿「道後やや」がある。この宿、温泉宿なのに温泉がないという「弱点」を持つが、「おしゃれな浴衣」「8種類の高級今治タオル」など、外湯をとことん楽しめる仕掛けで見事に克服。さらに愛媛産にこだわった“豪華すぎる”朝食バイキングが評判となり、道後温泉で有数の人気宿となった。仕掛けたのは35歳の経営者・エイトワン大籔崇。「愛媛」をキーワードに10を越えるビジネスを手がける。例えば今治タオルは、生活でも使える商品を数多く取り扱う専門店を全国22カ所に展開。ミカンは、手作業で加工し「高級品」として店舗やネットで販売。それぞれの産地に恩恵をもたらし始めているのだ。広島県生まれの大籔、愛媛生活は大学からスタートした。だが在学中はパチンコ、卒業後は実質ニート生活。その後株取引にはまり、15億円儲けたというが心は満たされなかったという。転機が訪れたのは28歳の時。道後温泉で、客足が伸び悩んでいた高級旅館の経営を引き継がないかと、知り合いから持ちかけられる。「何か人のため、愛媛のためになることがしたい」と考え始めていた大籔は2つ返事で引き受けるが、いきなり窮地に陥ってしまう。支配人をスカウトして運営を任せたのだが、従業員のほとんどが辞めていったのだ。大籔は一から「客も従業員も満足させるにはどうしたらいいか」というテーマと向き合う。そうして導き出した答えは、意外なことに“愛媛”を見つめ直すことだった。それから見事、3年で人気の宿に生まれ変わらせた大籔。この成功の方程式は、今も仕掛ける数々のビジネスの元になっている。これまで「愛媛のために」奔走してきた大籔。しかし今、その活躍の場は県境を越えた。愛媛の隣、香川県の東かがわ市。ここは知る人ぞ知る手袋の町だ。市内の企業で国内シェア9割を占めているという。しかし生産現場を訪ねてみると、コスト削減のため次々と海外に工場を移転。今や国内に残った生産技術はごくわずかだ。消えゆく地場産業を救おうと大籔が立ちあがった。「愛媛の悩みは全国の悩み。いいモノは、少し工夫を加えるだけで必ず売れる」と語る大籔。愛媛で始めた「地方革命」、いよいよその真価が試されるときが来た。
「観光のインフラ」として注目を集める路線バス。だが、地方のバス会社の多くは赤字を抱えて、疲弊している。そんなバス業界の中に、利用者を年々増やしている小さな地方バス会社があった。埼玉県にある「イーグルバス」だ。社長の谷島は、不採算に陥った大手バス会社の撤退路線を引き継ぎ、そこで常識を打ち破る改革を断行、地域に愛されるバス会社に育てて、客を大幅に増加させていた。疲弊する地方バスの再生人として注目を集める谷島の大胆な再生術を取材した。
東京を中心に、“町の飲食店”1万7000軒に新鮮でおいしい肉を届ける食肉卸「プレコフーズ」。その顧客のほとんどは個人がやっている小さな飲食店だ。プレコが取り扱う肉は1000種類。最大の特徴はどんな細かい要望にも応じてくれることだ。肉の切り方や厚さはもちろん、要望があれば焼き鳥の串打ちからチャーシューづくり、味付けまでやってくれる。そして、注文が1000円以上なら無料で配達してくれるのだ。さらに、店のメニュー開発も一緒にやることもあるという。正に“町の飲食店”の味と人情を支えている存在なのだ。
東京・八王子市内に、脳神経外科や循環器の専門病院を始め、内科クリニックやリハビリなど4つの医療施設をもつ「北原病院グループ」。その中核である「北原国際病院」を訪ねると、院内はホテルのようなオシャレな作り。見た目だけでなく、診察も、普通の病院とは違う。精密検査も即日結果。薬もその場で飲み、それを見てすぐに医者が対応する。さらにこの病院では「断らない救急」を実践しており、救急外来の受入率は実に96%。この病院をつくったのは北原茂実。大学病院の勤務医をしていた30年前、皮肉にも急病で自分が勤務していた病院に運び込まれたという。そこで思い知ったのは“病院は患者にとってなんと居心地の悪い空間なのか”ということ。その経験もあって、患者の目線を強く意識した病院をつくったのだ。一人でも多くの患者によりよい医療を―をモットーに掲げ、年間14万人を越える患者を受け入れている。さらに、グループの医療機関の一つ、北原リハビリテーション病院には「家族ボランティア」という、入院患者の家族が病院内で働く制度がある。家で雑巾を縫ったりするのもOK。働いた分だけポイントがたまり、病室の雑費を抑える事が出来るというメリットがある。さらにそれを通じて地域の人々が支える病院、そして病院を核にして、地域と繋がる病院。これこそが北原の理想の病院像なのだ。
競争が激しい飲食業界を支えるビジネスで、業績を拡大する異色の経営者がいる。飲食店向けの厨房機器のリサイクルを手掛ける「テンポスバスターズ」創業者・森下篤史だ。森下経営の特徴は、とにかく、社員のやる気を引き出し、それを直接的な成果につなげるというもの。最近では、リサイクル業だけでなく、そこで得たノウハウを活かし、飲食チェーン店の業績をV字回復させている。なぜ、森下は倒産寸前に陥った企業の社員と業績を再生することができるのか?社員が変わる!独自すぎる企業再生術の神髄に迫る!
羽毛ふとんを始め、枕・ベッドなど、あらゆる寝具を手がける業界トップメーカー「西川産業」。その創業は実に1566年にさかのぼり、来年450年を迎える超老舗企業だ。戦国時代、初代の西川仁右衛門が、近江で「蚊帳」の行商を始めたのがその始まり。江戸時代に、2代目の甚五郎が、これまでの常識を破って蚊帳に色を付け「近江蚊帳」として発売するとデザイン性が評判を呼び大ヒット商品となった。明治に入ると、西川産業は、それまで家庭で作るのが当たり前だった「ふとん」を、日本で初めて商品化。さらに、日本初の「日本睡眠科学研究所」を作り、睡眠そのものを科学的に分析し、「質の良い眠り」を研究している。この老舗を率いるのは元銀行員という異色の経歴を持つ西川八一行47歳。婿養子として西川家に入り西川産業入社後、38歳の若さで社長に就任した。そんな西川は新しい戦略を次々と打ち出している。西川の発案で開発したマットレス「AiR」(エアー)」は、今までにない斬新な色遣いが、幅広い層の心を掴み、累計35万本を売る大ヒット商品となった。
列車のスピード化に伴って、いま駅弁事業者が苦境に追い込まれている。だが、そんな厳しい状況にも関わらず、一日で3万2000食を売りまくる驚異の駅弁事業者がいる。それが創業107年、日本一の駅弁メーカーとして知られる横浜駅・崎陽軒だ。駅弁として人気が高いのは、もちろん、地元・横浜では、家庭での食事としても利用されているという。全国各地の駅弁メーカーが苦戦する中で、なぜ崎陽軒は地元住民の心を鷲掴みにできたのか?冷めても美味しいシウマイに隠された、知られざる最強弁当の秘密に迫る!
放送開始から10周年を迎えたカンブリア宮殿。これまで400人を超えるゲストが様々なエピソードを披露してきた。しかし放送では紹介しきれなかった、珠玉のエピソードがたくさんある。成功の裏には大失敗が…。そして、ひょんなことから成長への糸口を掴んだ例も…。すべて、「あの時があるから今がある」。波乱万丈の人生を歩んできた経営者達は、どこで何を掴み、そして生き残ってきたのか…。これまでに登場した経営者のエピソードを、新規撮影分も含めて、90分拡大してたっぷりと紹介。さらに、村上龍がこれまでのゲストから選りすぐった2人の名物経営者、ニトリHD似鳥昭雄社長とハイデイ日高の神田正会長をスタジオに招き、特製の巨大模型やパネルも駆使しながら、波乱万丈の人生を紐解いていく。
新たなデザインが次々と打ち出される現代。消費者は流行の最新デザインを追い求め、毎シーズンのように“もの”を買い替えていく。そして、作り手も「大量生産・大量消費」という社会の波に乗り、毎年、買い替えられる「安くておしゃれなもの」を生み出し続けている。そんな“短期消費型”の風潮に強い疑問を感じ、新たなビジネスを生み出した男がいた。国内外に12店舗を展開する「D&デパートメント」の創業者・ナガオカケンメイ(50歳)だ。ナガオカの店で扱う商品は、全てが「長く使える良いもの」ばかり。それ以外の商品は、一切販売しないというコンセプトの“百貨店”なのだ。ナガオカが考える「長く使える良いもの」とは、どういうものか?「大量生産・大量消費」へのアンチテーゼとして小売業界に旋風を起こす、ナガオカの革命。その全貌に迫る!
低カロリーで塩分控えめの健康食弁当を作って宅配する「ファンデリー」。カタログには250種類の弁当が満載。生活習慣病やメタボの人でも食べられるメニューから、腎臓病の人たち用にタンパク質を調整したメニューなど、利用者の体に合わせたものがたくさんある。利用者からは「しっかり味がついていておいしい」との声が。冷凍されているのでレンジでチンするだけという手軽さも受けて、利用者はいまや16万人、年商は26億円にも上る。ファンデリーは東京・赤羽にあるベンチャー企業。最大の武器は女性社員40人全員が栄養士や管理栄養士の資格を持つ“栄養管理のプロ集団”だということ。彼女たちは弁当の注文を受けるオペレーター業務からメニュー開発、さらに営業活動まで、何でもこなす。それだけではない。40人中35人が、“管理栄養士”の免許を持っていて、利用者一人一人の体や病状に応じたきめ細かい栄養相談にも乗ることができるのだ。弁当を売るだけでなく、その後のサポートまできっちりできるのは、本社がある東京・赤羽をもじって、AKB40(AKABANE40)と称する彼女たち栄養士軍団の存在があってこそ。ファンデリーを立ち上げた社長の阿部公祐は、元は脱サラして宅配で野菜の販売をしていた。事業が軌道に乗らず悩んでいたある日、たまたま顧客から「糖尿病なのでなかなか料理が難しい。気軽に食べられる健康弁当があればいいのに」という声にひらめいたという。“患者の症状にあった宅配の弁当はできないか…”。栄養士を雇いメニュー開発から食事指導までトータルで行う、今までにない宅配サービスを実現させたのだ。そして今、もっと幅広い層を狙ったメニュー開発や、食品メーカーなどと組んだコラボ商品の開発など、栄養士軍団の活躍の場はますます進んでいる。
炭火で焼いた俵型ハンバーグに一手間かけた食べ放題のサラダバー、そして釜戸炊きの魚沼産コシヒカリが人気のステーキ店チェーン「ブロンコビリー」。客単価はディナーで2100円とかなり高いが、売上高は3年連続で過去最高を記録。しかも外食産業では経常利益率日本一なのだ。なぜそんなに利益が出るのか?そこには「他では真似のできないもので客を喜ばす」「働く全ての人を幸せに」という創業者・竹市の信念と人情があった。BSE問題の牛肉離れ、そしてアルバイトが冷蔵庫に入った写真のSNS投稿の2つ大ピンチを乗り越えた人情親父の驚き経営術に迫る。
高知県に根ざし、田舎のオリジナル商品のパッケージやキャッチコピー、さらにはプロデュースも手がけるデザイナー、梅原真。一見「なんにもない」田舎の埋もれた商品の魅力を引き出しヒットさせてしまう梅原は、デザイン業界でも一目置かれている。29歳でフリーのデザイナーとなり、当初は地元スーパーの広告や食品パッケージをデザインしていた。しかし、自分の好まない商品のパッケージをつくることに疑問を抱く。そんな時、梅原は印象深い風景と出会う。四万十川にかかる「沈下橋」。手すりも欄干もないシンプルな橋は、大雨が降ると川に沈み、収まると顔を出す。四万十の風景に馴染んだ沈下橋の姿から、等身大の田舎でいいのだと悟る。それがデザイナー梅原の原点になった。そして今も梅原は商品や生産者の真の魅力を探り、等身大のデザインをし続けているのだ。
千葉県大網白里市にある、小さな不動産会社「大里綜合管理」。一見どこにでもありそうな街の不動産店だが、実は、地域住民から驚くほど愛され、住民の高い信頼を勝ち取ってきた奇跡の不動産会社だ。そんな不動産会社を率いるのが社長の野老真理子。この野老が生み出した大胆な戦略で地域住民は、街の小さな不動産店にすぎなかった大里綜合管理を、驚くほど熱愛しているのだ。その原点にあるのが、仕事でも、ボランティアでも、そこに問題があることに気づいたら、すぐに行動を起こしてきたという大里の経営方針にある。いま大里が取り組むボランティアなどは283種類。仕事と地域活動に、もはや境界線がない状態にまで拡大してきた。「地域と共に…」という類を見ない戦略で生き残りを目指す、大里綜合管理の世にも不思議な実態を徹底解剖する!
ホテルや飲食、フィットネスジムに映画など90万件ものサービスを格安で利用できる「ベネフィット・ステーション」の会員が増えている。この会員制サービスは、福利厚生を代行する会社が契約企業から従業員1人あたり月数百円の会費を受け取り、会員となった従業員に福利厚生として提供するものだ。今や会員の数は700万人以上。実は、このサービスは個人でも受けられる。例えばソフトバンクのスマートフォン加入者向けの追加サービス「とく放題」。これは「ベネフィット・ステーション」の仕組みを利用したもので、携帯電話の加入者が月数百円の料金を払えば同じサービスを使えるのだ。なぜ格安が実現できるのか。企業の福利厚生代行から始まった“格安サービス”の秘密に迫る。
首都圏を中心に132店舗を展開する、スーパーマーケット「成城石井」。人気の秘密は「ここにしかない、こだわりの商品」があること。例えば輸入物のワインは全700種類、チーズだけでも210種類。総菜も自社で作るこだわりぶりだ。扱う商品数は1万2千種類。腕利きバイヤーたちが国内外から見つけてくる独自の品揃えが、客を捉えて離さない。そんな個性派スーパーを率いるのが、原昭彦社長48歳。「売れ筋は追わない。データには出てこない客の生の声が最も大事だ」と語る原。さらに、10坪から190坪まで、店舗の広さと立地に合わせて変幻の店づくりで出店を強化。いまでは、地方のスーパーやレストランに商品を提供する“卸し”や、ワインバーで“外食”にもビジネスを広げるなど、食にこだわった展開を続けている。徹底したこだわり商品で客を魅了する注目のスーパー成城石井、その全貌に迫る。
「自作の小説を出版したい」「災害で壊滅した病院を復旧したい」などなど、世の中で様々な理由でお金を必要としている人に、共感した人が一口1000円程度からネットを通じて出資し支援する・・・、そんな仕組みが今広がりを見せている。こうしたインターネット上で多数の人から資金を調達する仕組みを「クラウドファンディング」という。日本でいち早く、そして最大規模のクラウドファンディングを提供するのが「READYFOR」。創立から5年。いまや延べ14万人から19億円を調達するまでに成長した。率いるのは28歳の若き女性経営者、米良はるか。彼女自身の体験から、READYFORの支援プロジェクトには、お金を出した人が、支援を実感できる仕組みがあちらこちらにちりばめられている。世の中を変える、新しいお金の流れとして注目される取り組みに迫る。
新潟県南魚沼市の山間にある、予約のとれない人気の旅館『里山十帖』。この宿は、徹底的に客目線のサービスにこだわる新しい形の旅館だ。他の旅館との大きな違いは、「体験」「発見」にあるという。実は、この宿に泊まった客は、稲刈りなどの農業体験や薪割りなど、普段はやらないであろう様々なことを実際に体験できるのだ。また、旅館の中で使われている椅子や食器、タオルなども館内で販売されていて、客が気に入れば購入することができる仕組みとなっている。これまでの旅館にはない“体験”という新しい価値を提案する宿の成功の秘密を探る!
寒くなると恋しくなるニット。その編み機で世界トップシェアを誇る会社が、和歌山にある「島精機製作所」。世界中のファストファッションから超有名ブランドまでが島精機の編み機を使っているのだ。創業社長の島 正博(しま まさひろ78歳)は、根っからの発明家。小さいころから何かを考え付いては自分で作る永遠の発明少年は、78歳の今でも現役”発明家”社長。これまでに1100件を超える発明をし、すでに600件以上の特許を持つ。また,残りの発明が特許を取れば、あの発明王・エジソンを超えると話す。その”自称・エジソンを超えた男”、島の最高傑作が“魔法の編み機”。ニット製品をボタン一つで全自動で編み上げるという世界で唯一の機械だ。30年前にホールガーメント(丸ごと衣料)と名付けられたその機械は、イタリアの展示会で「東洋のマジック」と称された。その後も数々の発明や最新機器で世界を驚かせてきた島。2015年、ホールガーメントの最新機種を再びイタリアの展示会に出すやいなや、再び「進化したマジック」と絶賛された。そのファッションに革命を起こしてきた島のものづくりは、いまや宇宙や医療・工学分野にまでに可能性を広げて始めている。和歌山が生んだ発明王が率いる知られざる世界企業に迫る。
人口11万人の山形県酒田市に、市民の1割が通う日吉歯科がある。理事長の熊谷は、虫歯ができる仕組みを患者に理解してもらい、ケアを徹底する「予防歯科」を推し進めてきた。歯医者は虫歯になったら行くところでなく、虫歯にならないように通うところ。目指すは80歳で全ての歯がある社会だ。「歯を削ることは修理にすぎない。虫歯の原因になる虫歯菌を減らさないと再発する」。予防で日本人の歯を健康にしようという熊谷に迫る。
「この地域に住む理由のNO.1」「この店があるから引っ越ししたくない」−地元住民にこう言わしめる大人気のパン屋がある。千葉県船橋市周辺に展開するベーカリーチェーン「ピーターパン」。人気の理由は、徹底的に“焼きたて”にこだわっていること。それだけではない。地元客から愛される本当の理由は、家族皆が来ても楽しめる店づくり。コーヒー無料のテラス席は、地元住民の憩いの場に。さらにクリスマスや餅つきなど季節ごとに採算度外視でイベントを開くなど、街のコミュニティーとなっているのだ。この地元から愛される店を作ったのが横手和彦。信金マンからスナック経営、パン職人…異色の経歴の男がたどり着いた、感動店作りの物語!
海外からの観光客が増え、賑わい始めたニッポン。しかし地方の宿には、その恩恵は少なく、廃業に追い込まれる宿も後を絶たないという。そんな苦境が続く地方の観光業の中、この15年で街を一変させ、驚く程の集客をする温泉地がある。それが兵庫県の山間にある有馬温泉だ。この逆転劇のキーマンこそ、日本屈指の老舗旅館「御所坊」の15代目主人だった。驚くほど柔軟なアイデアで温泉街に賑わいをもたらした、その独自手法に迫る!
日清食品を筆頭に強豪がひしめきあう「即席麺業界」で、4位のエースコック。他社や消費者から一目置かれ、今でも売り上げを伸ばし続ける理由は、“常識にとらわれない”商品開発にある。1963年発売の業界初「即席ワンタンメン」を始め、初めての餅の入った「力うどん」や「わかめラーメン」、大盛りカップ麺「スーパーカップ」も大ヒット。その一方で、低カロリーを売りにした「スープはるさめ」はこれまでカップ麺に縁遠かった若い女性層をつかんだ。さらに、一層高まる健康への意識を背景に、”減塩”ラーメンを開発・商品化するなど、カップめんの常識を次々と変えてきた。この個性派軍団を率いるのは、2代目社長の村岡寛。社員へいつも投げかけている言葉は、「やりすぎぐらいがちょうどいい」。時代の変化を先読みし「とにかくやってみよう!精神」でチャレンジしてきたエースコック。そのユニーク戦略に迫る。
大手チェーンの経営統合や、地方コンビニチェーンの淘汰が進むコンビニ業界。その中にあって、客単価で全国2位、平均日販でも大手を押しのけ、4位という実力を誇る地域密着型のコンビニがある!そのコンビニを運営するのが福井市近郊でチェーン展開する「大津屋」だ。店の名前は「オレボステーション」。福井市民で知らない人はいないと言われる人気のローカルチェーンだ。現在、コンビニとしては6店舗を展開しているが、他の地方に住む人が想像するコンビニとは中身が全く違う。実は、店内の半分を占めるのは、総菜の販売スペース。しかも、その総菜の多くは “できたて総菜”で、店の一角にはファミレスのような食事席も設けられている。もちろん、日用品や食料品が並ぶ売場にも大手コンビニでは見かけない独自すぎるものが、ずらりと並んでいる。「月に20回は来る」という熱狂的なファンを生み出す超地域密着型のコンビニを運営する大津屋。驚くべき独自の進化を遂げたユニーク経営の全貌に迫る!
私たちが日ごろ食べている饅頭や中華まんに始まり、チーズが中に入ったハンバーグなど、何かを“包んで”作った食品。これらの生地と中身を包む機械を、世に初めて生み出した会社が栃木県宇都宮市にある。その名は「レオン自動機」。なじみのない名前だが、包む機械で国内シェア9割というトップメーカーなのだ。しかも日本の食だけには留まらず、ロシアのピロシキ、イギリスのスコッチエッグ、中国の月餅など、世界120の国と地域で活用されている。まさに世界も認めた“魔法の機械”。これを独学で生み出したのが、創業者の林虎彦。和菓子職人だった虎彦はなぜこの機械を生み出すことができたのか・・・。そこには壮絶なドラマがあった。そして現在、レオンを率いるのが、現場からたたき上げの田代康憲社長だ。田代は、虎彦の愛弟子。天才創業者から直々に開発者魂を叩き込まれた男だ。その師弟コンビが生み出した機械は、さらに進化を遂げ、きょうも世界中の食を支えている。知られざるニッポンのすごい企業、その驚くべき全貌を“包み隠さず”紹介する。
長さ40mの「風車の羽根」、社員数千人のオフィス用品、国宝級の美術品…。そうした「運ぶのが困難なモノ」に挑み、必要な場所に届け、日本経済を支えてきた企業がある。あの物流大手「日本通運」だ。江戸時代の飛脚にルーツを持つ日通は、日本の近代化、戦後の復興、高度成長とともに、世の中が必要とするものを運び続けてきた。その多くは「誰も運んだことがなかったもの」。それを確実に届けるため、日通に浸透した哲学が「段取り八分」だ。事前の準備に十分な時間と労力を割くことで、数々の挑戦を成功させてきたのだ。できて当たり前、失敗が許されない「運ぶ仕事」で、果敢に挑戦を続ける巨大物流企業「日本通運」、その知られざる実力に迫る!
誰もが知っている回転寿司やジェットコースター、自動車エンジンに製鉄所…世の中の様々な場所で「ものを動かす」ために、必要不可欠とも言われる「チェーン」。ダヴィンチが発明したと言われるこのチェーンを、1年間に長さ2万5000キロも製造する、産業用チェーンの世界トップメーカーが大阪に本社を置く、椿本チエインだ。実は、この椿本の強さを支えてきたものこそ、創業者・椿本説三に始まるチャレンジャースピリットにあった。世界を驚かせ続ける椿本チエインの挑戦力と突破力の真髄に迫る。
急成長するアパレルブランド「ファクトリエ」。メイド・イン・ジャパンが売り物だが、代表の山田が全国各地を訪ね歩いて見つけた“スゴイ縫製工場”の直販という異色のブランドだ。今や日本の衣料品の国産比率は3%まで激減。縫製工場が次々と消える中、海外の有名ブランドが生産を委託するほどの技術を持つ工場も多い。日本の優れたモノづくりを再生させたいと山田が立ち上げたのが「ファクトリエ」なのだ。商品のタグには生産する工場の名前を入れ、しかも販売価格を工場が決めるユニークな仕組みを導入している。「モノづくり再生」に立ち上がった山田の情熱に迫る。
野球・サッカー・バスケ・テニスなど、小学生を対象としたスポーツ教室を全国で展開する「リーフラス」。設立15年で、その教室の数は2500。会員が4万2000人を超えるという、子供向けスポーツ教室日本一となった。子供たちが夢中で通うという人気の秘密は「勝ち負け主義」よりも「誰でも楽しめる」スポーツへの転換と、元プロ選手も指導員として正社員雇用する独自のシステム。創業したのは、伊藤清隆。中学生の時に野球部で受けた体罰などが原体験となり、本来、スポーツは楽しむべきものだと、これまでにないスポーツ教室を作り上げた。いまでは多くのスポーツ人材を抱え、子供たちの教室だけでなく、教育現場向けや企業向けにスポーツのノウハウを生かした新ビジネスにも取り組んでいる。日本のスポーツ文化を変えたいと挑む注目企業を取り上げる。
春の絶景が楽しめる小旅行の先として注目を集めるローカル線・いすみ鉄道。3月下旬〜4月上旬になると、列車から菜の花と桜が同時に楽しめるとあって、週末には多くの女性客が押し寄せる。この時期になると、のどかな房総半島を走る列車は、都心の通勤電車のような混雑ぶりを見せているという。今でこそ観光列車として高い人気を誇る「いすみ鉄道」だが、数年前までは廃線の危機にさらされていた。そんな廃線寸前の鉄道路線を、注目の鉄道に変えた男こそ、2009年公募で社長に就任した鳥塚(とりづか)だ。外資系航空会社から地方のローカル鉄道のトップに転身した鳥塚は、どうやって赤字路線を人気鉄道に変えたのか?鳥塚が打ち出した驚きの企業戦略の全貌に迫る!
連日のように新聞や雑誌などのメディアに取り上げられる、いま注目のテーマパーク、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン。実は、ここ2年連続で過去最高の入場者数を記録するなど飛ぶ鳥を落とす勢いをみせている。USJと言えば、「ハリー・ポッター」や「ジュラシックパーク」「ジョーズ」など映画コンテンツのアトラクションでお馴染みのテーマパークだが、実は、ここ数年でコンセプトを大きく変えているという。園内を覗いてみると、「きゃりーぱみゅぱみゅ」や「モンスターハンター」など映画以外のアトラクションやイベントが急増、しかも人気を博しているという。なぜ、映画のテーマパークが“映画以外”に舵を切ったのか?そして、倒産の危機さえも囁かれたUSJは、どうやって過去最高の入場客数を記録できるようになったのか?USJのV字回復を実現させた立役者・森岡毅をゲストに招き、年間750万人にまで落ち込んでいた入場者数を、1390万人に復活させた復活劇の秘密に迫る!
“名古屋めし”の代名詞の一つ「みそかつ」。その人気に火を付けたのは「矢場とん」という1軒の大衆食堂だった。今や全国に20店舗出店し、年間237万人もの客が押し寄せる人気店「矢場とん」。その成功を築いたのは、創業家に嫁いできた若女将。食材、食器、のれん、看板メニューを変えるなど、女将は様々な改革を断行し、町の大衆食堂を全国区の「みそかつ」の名店へと変貌させた。さらに、社員と我が子のように向き合い、家族のような強い信頼関係を築く。外食では驚異的な離職率の低さを誇る、矢場とん流“超家族経営”の秘密と、「みそかつ」躍進の舞台裏に迫る!
白内障や、糖尿病の合併症など、誰もが罹りうる「目」に関わる深刻な病気は多い。そのままにしておくと失明の危機もある。そんな眼科手術で、世界でもトップレベルの腕を持つドクターがいる。彼の名は服部匡志。どこの病院にも属さず、フリーで日本各地の病院を渡り歩き、数多くの手術をこなして回る。そんな服部は、月の半分を日本で稼ぎ、半分はベトナムに渡って貧しい人々を無償で治療している。「一人でも多くの人の目に再び光を感じさせてあげたい」。その一心で14年に渡って救ってきた人は、日本とベトナム合わせて4万5千人を超えた。さすらいの眼科医、その感動の奮闘記。
福岡・博多と言えば…モツ鍋、水炊き、とんこつラーメンなど、グルメな人達をうならせる国内屈指の食の街。そんな食の宝庫とも言える博多で、地元・博多っ子がこだわる食材の一つが「博多名物・明太子」だ。福岡県内だけで150以上のメーカーが切磋琢磨し、味を競い合っている。その「明太子」の激戦区で売り上げNO.1に君臨するのが、地元客からの絶大な信頼を得ている「ふくや」だ。実は、この「ふくや」は、10年近くに及ぶ試行錯誤の末、現在の明太子を生み出したパイオニア企業。そして、その作り方を地元のライバルメーカーに無償で教えることで「明太子」を博多名物に育てあげた企業でもある。自らの利益だけを追求せず、地域と共に生きる道を選んだ「ふくや」の知られざる感動経営術。その本当の狙いと、「ふくや」が目指す会社のあり方を徹底取材した!
その“粉”を使うだけで、繁盛店になるという魔法のような粉がある。それが「九州パンケーキ」という名前の粉。九州7県から集めた選りすぐりの穀物、7種類をブレンドした粉を使ったパンケーキは、モチモチでフワフワの食感を生み出す。九州パンケーキの粉を使ったメニューは、多くのレストランで人気の看板商品に。また、「九州パンケーキ」は物販としても全国670箇所で販売。現在、台湾やシンガポールなど、海外にも4店舗を展開。九州広域連合といった、チーム力で世界へ挑む、新ビジネスの全貌に迫る。
「コンビニコーヒー」がすっかり定着し、産地にこだわるスペシャリティコーヒーを扱うカフェが人気を博すなど、いまや空前のコーヒーブーム!国内のコーヒー消費量は3年連続で過去最高を更新中だ。そんな日本のコーヒー文化を戦後から牽引し、「カップから農園まで」川上から川下まで一貫したコーヒー事業を展開するのが「UCC」。世界初の缶コーヒーを開発し、レギュラーコーヒーでは16年連続でシェアトップを独走。一杯にかける「情熱」と、常識を覆す「イノベーション」で市場を切り開くコーヒーのパイオニア企業の実力に迫る。
神奈川県に5店舗展開するリフォーム会社「さくら住宅」は、蛍光灯の交換や障子の張り替えなど、家のちょっとした困りごとを快く引き受ける「住まいのかかりつけ医」として地域住民に愛されている。一度、「さくら住宅」を利用した客は、会社の熱烈ファンになり、なんと株主の65%が顧客になっている。小さな補修工事を丁寧にこなすことが、大口のリフォーム受注につながり、18年連続の黒字経営を達成。地域住民を幸せにする、住まいづくりの全貌に迫る。
「ごはんですよ!」や「味付?菜」など多くの家庭で食べられる桃屋の商品。37の商品のうち半数が大正・昭和生まれのロングセラーだ。「花らっきょう」は発売後95年が経つ。これほど支持される裏にあるのが「嫌になるくらい製法にこだわる」という桃屋の“良品質主義”。?菜は1年間発酵させてから瓶詰めし、佃煮用に良い青のりを提供しようと異物を取り除く“青のり洗浄専用工場”まで建ててしまう。小瓶に隠されたこだわりに迫る。
全国16万世帯の会員を抱える、有機・低農薬野菜の宅配最大手「らでぃっしゅぼーや」。日本各地のこだわり農家と契約し、徹底した生産管理で作られた安心安全な野菜を家庭に届けている。そして今、野菜へのこだわりや生産者重視の姿勢は貫きつつ、NTTドコモ出身の国枝俊成社長が就任した後は、「顧客目線」を徹底して、業績もV字回復。そのほか、野菜そのものを宅配するだけでなく、より調理をしやすいカット野菜や調味料をセットにした商品を販売。幅広い層に有機・低農薬野菜の魅力を広めようと考えている。こうして今や同業他社の中で、会員数・売り上げともにトップを走る。進化し続ける野菜宅配ビジネス、そのトップ企業の新戦略に迫る。
多くの観光客で賑わう石川県金沢市。その閑静な住宅街に、注目スポットがある。その場所の名は「シェア金沢」。新しく作られた小さな町に、全国から年間600以上の視察団が訪れるほど、関心を呼んでいる。東京ドームよりやや小さい敷地に、高齢者や学生、障がい者など、およそ70人が一緒に暮らす「多世代共生タウン」となっている。敷地内には、クリーニング店やレストラン、売店、天然温泉、さらにデイサービス施設もあり、日常生活には困らない。それだけではない。「シェア金沢」には、就労の場も多くあり、高齢者や障がい者が働きがい・生きがいを持って充実した日々を楽しんでいるのだ。金沢発、大注目コミュニティの全貌に迫る!
「この地域から出て行け!」…かつて産廃業者として、住民から反対運動が巻き起こった埼玉県の石坂産業。そんな存続の危機にあった会社を父親から受け継ぎ、改革に乗り出したのは、当時30歳の女性だった。社長に就任した石坂は、半年で社員の4割が辞めていく劇的な改革を断行し、地域の迷惑施設と言われた会社を日本屈指のリサイクル企業に生まれ変わらせたのだ。そして、本社の隣に里山を保全する公園まで作り上げ、地元に愛される会社に育ててきた。父親の思いを胸に、企業を劇的に変えた女性社長の格闘の裏側に迫る!
番組の放送が始まったのが2006年。翌年スティーブ・ジョブズが発表したアイフォーンは、わずか10年で人々の暮らしを一変させた。一方、その間、世界が注目する若き起業家が日本にも現れていた。“夢の繊維”と言われるクモの糸を人工量産しようという関山和秀。もう1人は、木と水を使わず石から紙を作る山?敦義だ。放送500回記念SPは、これからの10年で世界を変えうる驚くべき新素材の開発現場と2人の情熱に迫る。
絶品のハンバーグで連日のように長蛇の列を作る洋食店「つばめグリル」。創業86年を迎える老舗だが、この店のファンの多くが長年つばめグリルに通い続けているロングリピーター。世代を超えて3世代で通い続けているという熱狂的なファンを数多く生んでいる。そんな熱狂的なロングリピーターを生む秘密こそ、つばめグリルの3代目社長が実践してきた「正直経営」にある。客に提供するものには「絶対に手を抜かない!」「手間がかかっても手作りにこだわる!」「仲間に恥ずかしくない店にする」など、料理に、客に、仲間に、正直に向き合う愚直な経営戦略だ。効率化や短期的な利益に走りがちな外食産業の中にあって「客に嘘をつかない」経営で銀座の老舗となった「つばめグリル」。その正直経営の舞台裏を徹底取材した!
創業52年を迎えた菓子問屋の吉寿屋。卸売りのほか、専門店「お菓子のデパート よしや」という直販店を関西を中心に101店舗展開している。小売店の価格は定価の約2割引き。品揃えはロングセラー商品からスーパーやコンビニで見たことのない菓子まで…なんと1400種類。まさに「お菓子のデパート」だ。商品の単価が安く儲けが薄いと言われる菓子業界の中にあって、吉寿屋は、独自の社員をやる気にさせる報奨制度を作り上げ、業界トップの利益率をたたき出しているという。その結果、創業以来“赤字無し”の健全経営を続けているのだ。そんな独自すぎる仕組みを作り上げた人物こそ、創業者の神吉武司。そして、仕入れ部門で武司を支え続けてきた現・会長で弟の秀次だ。兄弟二人三脚で作りだしたユニークな最強菓子会社「吉寿屋」。その強さの秘密に迫る。
ビッグイベントの舞台裏に必ずいる…それが幅広い事業を手掛けるフラワー界のトップ企業、日比谷花壇。結婚披露宴で、新郎新婦から育ててもらった両親への花束贈呈を行うという感動のシーンを始めた先駆者であり、故永六輔氏や水木しげる氏など著名人のお別れの会をプロデュース。古くは吉田茂首相の国葬まで手掛けた。近年は、低価格業態の店舗を展開し、“個人の暮らし”にも領域を広げている。さらに、サービス付き高齢者向け住宅事業にまで進出。日比谷花壇ならではの花に接する活動を取り入れたことで、認知症の人にもある変化が見られるという。番組では華麗なるフラワービジネスの舞台裏に迫る。
緑茶のペットボトル市場で“老舗ブーム”を起こしたのが、サントリーが2004年に発売した「伊右衛門」だ。京都の老舗茶舗・福寿園の茶葉の加工技術とその創業者の名を付ける大胆なネーミングは、累計の売上高が1兆円を超える驚異的なヒットにつながった。その成功の裏にあったのが、古い茶業界で伝統と革新の“二兎”を追い続けてきた福寿園の経営だ。80歳の今なお茶文化を訪ねて世界を巡る福井会長の“二兎を追う”経営に迫る。
いま注目が集まる女性都知事が緊急出演!築地市場の移転延期問題はどうなる?都議会自民党との対決は?初の女性都知事誕生で東京は変わるのか?村上龍が迫る。小池氏の現在に至る華麗なキャリアのそもそもの原点は、テレビ東京にある。1988年に「ワールドビジネスサテライト」の初代キャスターに就任。1992年に日本新党で政界進出するまで務めた。当時の秘蔵映像で、“知られざる小池百合子”の実像に迫る。さらに、数々の決断の舞台裏が当時の大物キーマンたちの証言で明らかに!
そのブランド力から、お土産や贈答品として人気も、知名度も高い「千疋屋総本店」。創業から182年の歴史を持つ老舗企業で、いち早くフルーツパーラーの原型を作るなど、日本のフルーツ界をけん引してきた。メロン1個1万5000円、ブドウ1房1万円…。驚くほど高値のついた果物がまるで宝石のように綺麗に並べられ、次々と売れていく。ある転機を境に、手ごろなフルーツ商品へも戦線を拡大、以降、売り上げを伸ばし続けている。高級な果物を手軽に食べてもらう戦略で成長を続ける、老舗の伝統と革新。そのフルーツ革命の真髄に迫る!
「ヨーロッパの食卓」をブランドコンセプトにした"こだわりの商品"を全国46店舗で販売している「サンクゼール」。この店の目玉商品が…添加物を使わないジャムだ。中でも特に人気が高いのが、「オールフルーツジャム」。ジャム作りに必要な砂糖を使わず、果物の甘さだけで作り上げたという。そんな「オシャレ」で「安心・安全」なオリジナル商品を目当てに、店には連日多くの女性が詰めかける。都会的で魅力的な商品を展開し、今では女性客の圧倒的な人気を誇るサンクゼールだが、実は、長野の田舎町に本社を置く従業員600人余りの小さな会社。辺りには見渡す限り農園が広がる場所にある。なぜ、地方の田舎町の会社が全国に人気店を生み出すことができたのか?夫婦2人で始めたジャムメーカーを年商64億円のブランドショップに変えた創業者・久世良三氏をゲストに迎え、地方だからこそできる“本物志向のものづくり”に迫る!
客から絶大な信頼を寄せられ、業績を伸ばすローカルスーパーがある。山梨県を中心に13店舗を展開する スーパーマーケット「いちやまマート」だ。店に置かれる食品は、「美味しさ・健康・安心」をキーワードに素材選びや作り方にこだわっている。店内で作られる惣菜や弁当は、減塩や糖質カットなど、健康を意識した食品ばかり。中でも、いちやまマートの人気商品は、プライベートブランドの「美味安心」。食品添加物を排除したオリジナルの食品。国産小麦で作るパンやグルテンフリーのカレーのルー、はたまた子供向けのお菓子など、現在の商品数は約400アイテムにも及ぶ。「美味安心」が買えるのは、いちやまマートだけではない。「自分のスーパーにも美味安心を置かせてほしい」と、今や80のスーパーが提携し、その店舗数は全国で 1000店を超える。健康路線で客を呼び寄せるローカルスーパーの独自戦略、その全貌に迫る!
パン消費量が増え続ける一方で、いわゆる「町のパン屋」の廃業が相次いでいる。長時間労働が当たり前とされる厳しいパン職人の世界を若者が敬遠し、後継者が育たないためだという。そうした中、注目を集めているパン屋が岡山にある。無添加パンを、焼き立てで提供し、岡山では最も高い売り上げを誇る人気店だが、注目される理由はそこではない。なんとこの店、たった5日間で、パン作りのノウハウを身につけられる研修講座を開き、その卒業生が全国各地で次々と開業、その多くが人気店に育っているというのだ。「町のパン屋」を全国に広げる、異色プロジェクトの全貌に迫る。
京都の老舗料亭「菊乃井」。料亭といえば一般的に縁遠いイメージのある世界だが、三代目主人である村田吉弘は「料亭の基本は飯屋。普通の人が普通に働いて、人生の節目の日に少しだけ贅沢な気分を味わえる。それが菊乃井」と言う。そんな村田はこれまで、料亭としての伝統を守りつつも、従来の常識を変え続けてきた。それは料理の手法から人材育成に至るまで多岐に渡る。料亭という世界の中で異彩を放つ菊乃井、その全貌に迫った。
日本企業が長年続けてきた“残業文化”は変わるのか?先進的な企業の取り組みからからその答えを探る。長時間残業が当たり前だったITシステム業界に“ホワイト企業”へと驚きの大変身を遂げた会社がある。SCSKは、「残業を減らせば残業代を出す」という前代未聞の方法で残業の半減に成功。それなのに、増収増益を続けている。改革を指揮した中井戸は、「従業員を犠牲にして利益を出しても一流企業とは言えない。自分の息子や娘を入れたいと思うか、が基準だ」と信念を語る。一方、“体験型ギフト”が評判を呼ぶソウ・エクスペリエンスは、副業や子連れ出勤を解禁。自由な働き方が新たな商品を生む原動力となり、売り上げを大きく伸ばしている。
東京近郊の行列のできる回転寿司店。ある日の目玉は、「産地直送」獲れたばかり宮崎県産のマダイ。客がこぞって手に取った。「新鮮で身が締まっていておいしい!」。銀座の鮮魚居酒屋ではその日の朝、北海道・紋別で獲れたばかりのカレイが刺身に...。客は「とろける〜」。カレイは、いわゆる「足の速い魚」で、刺身で食べるなど今までは地元以外ではなかなか実現不可能だった。それを可能にしたのが、羽田市場。大田区にあるスーパーマーケットの魚売り場でも羽田市場の鮮魚は人気の的。あの巨大な築地市場を通さない、新たな鮮魚流通革命の全貌に迫る。
「あなたは、人生の“最期”をどこで迎えたいですか?」。国の調査では、自宅で亡くなることを希望する人は7割。しかし、実際に自宅で最期を迎える人はわずか1割。その理由は、在宅医の不足、また在宅医療に対する認知度が低いことによる。その課題に取り組み、注目を集めている診療所がある。東京・板橋区に拠点を置く「やまと診療所」だ。医師で院長の安井は、在宅医療PA(医療アシスタント)という独自のシステムを構築し、多くの患者に安心して自宅で死を迎えられる医療サービスを提供している。「自宅で自分らしく死ねる。そういう世の中をつくる!」。そのミッションの下、多死時代を迎えた日本の医療、その変革に挑む若きドクターの奮闘に密着する。
世界人口の約70億人のうち、開発途上国では約10億人が食糧不足で飢餓に苦しむ一方、先進国を中心に約20億人が過食による肥満や生活習慣病を抱えている。この“飢餓”と“肥満”の不均衡を解決するために立ち上がったのが、NPO団体のTABLE FOR TWO(TFT)だ。TFTの仕組みはシンプル。社員食堂や学食などで、低カロリーのヘルシー料理を作ってもらい、その代金のうち20円を開発途上国の学校給食(1食20円)の支援に充てるとういもの。2007年に始まったTFTの仕組みを導入する団体は年々増え続け、現在では650団体に。その寄付金をもとに、この9年間で世界7ヵ国に4300万食の給食を提供した。日本発の社会事業TFTの動きは今、色々な形で世界に広がり始めている。
オレンジ色のラベルでお馴染みのロングセラー商品「つゆの素」や、小分け包装された削り節「フレッシュパック」で知られる、東京のかつお節メーカー「にんべん」は、今年、創業318年を迎える“老舗企業”だ。しかし、老舗企業にありがちな保守的な企業ではない。時代の常識にとらわれず、販売、製造など様々な分野で革新を続けてきた歴史を持つ。そんな「にんべん」の13代当主となる現社長の?津克幸も“かつお節”の消費が落ち込む現状を打破しようと、今、革新に挑んでいる。「何を守り、何を変えれば永続企業になれるのか?」300年以上の歴史を持つ長寿企業が仕掛ける、時代を生き抜くサバイバル術に迫る!
消費低迷に悩まされる外食産業。1980年代に急増したファミリーレストランも苦戦を強いられている。そんなファミレス業界で、地元客から絶大な信頼を集め、売り上げを伸ばし続けている店が新潟にあった。それが、新潟に本社を置く「レストラン三宝」。業界内で大手チェーンでも苦戦すると言われる「新潟」にあるにも関わらず、「三宝」には、長蛇の列が...しかも、客の多くが家族連れのリピーターだという。なぜ「三宝」に客が集まるのか?効率主義を捨て、地域に愛されてきた異色のファミリーレストランの人気の秘密に迫る!
主婦の間で噂になっている75万台を売った大人気の炊飯土鍋がある。その名も「かまどさん」。実は、この土鍋13分間中火で加熱し、火を止めて20分蒸らすだけで、釜戸を使って「はじめ、ちょろちょろ、中ぱっぱ、赤子が泣いても、蓋とるな」で炊いたような、ふっくらとした、美味いご飯が、火加減の調整をしなくても再現できる優れもの。食べた人に、こぞって「もう炊飯器には戻れない」と言わしめる、感動を生む土鍋なのだ。そんな土鍋を生み出したのが、三重県伊賀市にある180年以上の歴史を持つ伊賀焼の窯元・長谷園。古くは、千利休が使用する茶器などを手掛けていたが、その後、清水焼や信楽焼などの有名焼き物の下請けに甘んじてきた窯元だ。そんな下請け窯元が、なぜ空前のヒット商品を生む会社に変貌できたのか?直面する危機を乗り越え、土鍋を使った食卓革命に挑む、老舗窯元の逆転秘話を徹底取材した。
人や地域のつながりが希薄化する中で、2つの“食堂”が、小さな奇跡を起こそうとしている。都心のオフィス街に2年前にオープンした風変わりな食堂が注目を集めている。「未来食堂」は、客が店を手伝う「まかない」、それによって手に入れる「ただめし」など、客と店が“つながる”不思議なシステムが盛りだくさん。徹底した“効率経営”と、“客と一体化した店作り”で、食堂の新たな可能性を模索している。一方、「子ども食堂」は経済的困窮や孤食に陥る子どもたちに向けて、低料金で温かい食事を提供する取り組み。地域のボランティアが中心となって、いまや全国で300カ所以上開設されている。子どもたちの新たな“居場所”としてその役割に期待が寄せられている。独自の発想と信念で、失われた社会の“絆”を取り戻そうとする、2つの“感動食堂”を紹介する!
放置された歴史的建造物や遊休施設を、レストランや宿泊施設として再活用する事業会社、バリューマネジメント。「日本の文化を紡ぐ」ことを理念に掲げ、使われなくなった古い建物を後世に伝えようと、民間の力で様々な建造物を価値ある施設へと甦らせている。会社設立から12年、毎年黒字を達成。売り上げはこの5年で2倍に伸びている。現在は、9つの施設を運営し、地域の活性化にも貢献している。地元の人々に感謝され、新たな観光客を呼び込む“再生事業ビジネス”の全貌に迫る!
プラスチックが大量生産・大量消費されるようになって約半世紀。軽くて丈夫、安価なことから、いまや私たちの生活に欠かせない存在となっている。しかし近年、レジ袋やペットボトルなどの使い捨てプラスチックごみによる海洋汚染が深刻化。一方、これまで世界のプラスチックごみを資源として受け入れていた中国が国内の環境汚染を理由に輸入を禁止。いま、行き場を失った「廃プラスチック」が世界中にあふれている。番組では、中国禁輸による廃プラ問題、深刻化する海洋汚染の実態に迫るとともに、加速する「脱プラスチック」の行方を追う。
冬シーズンのレジャーといえばスキー。しかし、バブル期を境にスキー・スノーボード人口は大幅に減り、現在は620万人とピーク時の3分の1以下になった。しかしここに来て全国のスキー場では少しずつ活気が戻っているという。若者時代にスキーブームを経験したバブル世代がゲレンデに戻って来ているのに加え、訪日外国人客が押しかけているのだ。しかし、多くのスキー場は、長年続いたスキー人気の低迷から積極的な投資や開発を控えたままで、せっかくのビジネスチャンスを逃している例も少なくない。そんな中、長野県の白馬エリアがいま、新しい取り組みを始めている。改革を仕掛けるのは、たった一人で白馬に乗り込んだ元キャリア官僚の男性。しかも、冬だけでなくオールシーズンで客を呼ぼうというのだ。成功すれば、日本各地のスキー場にまた賑わいを取り戻せるはず。もちろんそれだけではない。大手デベロッパーも外資ホテルと組んで、白馬のリゾート開発に乗り出してきた。白馬を舞台に繰り広げられる、山のリゾート争奪戦。その最前線を取材する。
「家賃保証30年」「一括借り上げ」などのうたい文句で拡大した、アパートやシェアハウスなどへの投資。マイナス金利の下、金融機関からの積極的な融資姿勢もあり、「サラリーマン大家」たちが増えた。番組は去年5月、販売件数や融資額を増やす目的で、一部金融機関と販売会社が共謀。投資家の預金通帳を「改ざん」するなどして販売した違法な実態を追跡。さらに、「家賃保証」をうたう賃貸アパート大手「レオパレス」のアパート建設を巡っては、防火や耐震で必要な「界壁」が存在しない、建築基準法違反の物件が全国に多数建設されていたことを、独自取材により明らかにした。番組の放送以降、行政指導を受けた企業は「改善策」を発表。業界は「浄化」される方向に向かうものと期待されたが…。
東京ではオリンピック、大阪では万博、そして名古屋ではリニア中央新幹線開通などなど、今後ビッグプロジェクトが次々に控える日本。それもあり、都市部を中心に全国的に地価が値上がりしている。バブル期を超え、過去最高額となるところも。そんな中、土地や住まいなどの不動産を巡って、不当に儲けを狙う“地面師”や“ブラック家主”といった集団が動きを活発化させている。あなたや親の土地や住まいも狙われているかもしれない・・・。その驚きの手口や実態について緊急取材する。
買い物に行けば必ず目にするマネキン。業界で圧倒的な強さを誇る企業が、吉忠マネキンだ。百貨店の何と9割が取引先で、名だたる一流ブランドでも“ヨシチュウ”は数多く使われている。1体で百数十万円もする特注品もあれば、1万円程度のレンタル品も。その強さを支えているのが、マネキンを作る原型師の卓越した技。客が望めば、手や足を付け替えることだってお手のもの!そして今、ビジネスはマネキンに留まらず、ある分野で拡大を続けている。顧客ニーズに徹底的に応える、知られざるマネキンビジネスに迫る。
「レストランひらまつ」は、全国に約30店舗を展開し、年間110億を売り上げる、日本のフランス料理界のパイオニアだ。昨今の外食不況の中にあっても「ひらまつ」は右肩上がりの成長を続け、今年度は過去最高の売り上げと利益を達成。「ひらまつ」はディナーはコースで平均単価が25,000円と高単価にも関わらず、常に満席状態を維持し続け、2010年には高級レストラン分野としては初の東証一部上場を果たしている。「ひらまつ」の成功の最大の秘密が、ブランド戦略だ。平松が展開するレストランブランドは「ひらまつ」の他、「ポール・ボキューズ」「プルセル」など本場フランスでも人気の高いフレンチレストランを日本で展開。不景気になると無駄な出費は押さえるが必要最低限の外食はする。大切な接待や記念日には失敗したくない。各ブランドには、“お客様を決して裏切らない”という一貫した企業概念で景気に左右されない経営を実現させている。もうひとつの「ひらまつ」の成功の秘密がレストランブライダルだ。日常でフランス料理に接する機会のない人に、フランス料理を食べてもらうためにはブライダルはうってつけのイベントだ。婚礼という大切な日に美味しいフランス料理を楽しむ。これをきっかけに「ひらまつ」のファンになる人が続出。こうしてブライダル事業は「ひらまつ」グループの売り上げの半分を占めるまでに成長した。そんな平松にとって来る12月3日は勝負の日となる。「ひらまつ」グループの新店舗「ラ・フェットひらまつ」が大阪・中之島にグランドオープンするのだ。東京を中心として、各地方都市に出店してきた「ひらまつ」。意外にも大阪には出店していなかったのだ。「ラ・フェットひらまつ」の目玉は関西近県で穫れる食材を使った地産地消の料理だ。?お客様を決して裏切らない”を信念として掲げる「ひらまつ」の強さと挑戦を追う。
10月に東証一部に最年少25歳で上場を果たした、IT企業「リブセンス」。社長の村上太一は、幼い頃から「社長になりたい」と起業を夢見ていたという。立ち上げた求人情報サイトは、企業にも利用者にもメリットをもたらす全く新しいサービスを確立して、業界大手が運営する求人サイトをも脅かすほどに急成長した。村上はリブセンスの経営理念について、「世の中の不便をなくし人の幸せを増やす」と明快に語る。そこには、考え抜かれた村上流のビジネス論があった。