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2019/03/19
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伊藤智仁の野球人生を怪我や戦線離脱、引退まで振り返る【悲運のエース】

みなさんは、かつてヤクルトスワローズに在籍していた伊藤智仁という投手をご存知でしょうか?「悲運のエース」と言われたこの投手ですが、野球ファンでも知らない人が多いです。しかし、実はプロ野球史上最強の投手という呼び声の高い伝説の投手でした。今回は、そんな史上最強投手である伊藤智仁の波乱の野球人生を紹介します。

目次

伊藤智仁の成績と評価

プロ7年間で通算37勝27敗25セーブ。
成績自体は決して突出したものではありません。

しかし、ヤクルト時代の監督として伊藤を指導してきた野村克也氏や、伊藤とバッテリーを組んでいた古田敦也氏は彼に対して高い評価をしています。
彼らは口をそろえて「伊藤智仁はプロ野球史上最高の投手と言っても過言ではない。」と話すほど素晴らしい投手でした。

150キロを超す伸びのあるストレートと、驚異的な変化をする高速スライダーを武器に、現役生活7年ながら強烈なインパクトを残しました。

これほど素晴らしい投手が、なぜ37勝しかできなかったのか。
それには、伊藤智仁という選手が歩んだ波乱の野球人選が関係していました。

伊藤智仁のプロ入り前

伊藤智仁のプロ入り前について紹介します。

伊藤智仁のプロ入り前①高校時代は無名選手だった

京都出身で、高校は地元京都の花園高校出身。
決して強い高校ではなく、伊藤も高校時代はプロから注目されるような選手ではありませんでした。

当時、伊藤はストレートが最速140キロほどで突出した変化球もなく、ごく普通の選手でした。

伊藤智仁のプロ入り前②社会人野球で転機が訪れる

当然ながらプロへは進まず、社会人野球の三菱自動車京都へ進みます。

しかし、はじめの2年ほどは全く活躍できず、ストレートも最速140キロに留まり、大会では大量失点を喫するなど散々なものでした。

転機になったのは、社会人3年目。
当時の社会人野球は金属バットを使用していたため伊藤は投球のスタイルを大きく変える決断をします。
金属バットは、バットの芯で捉えなくても簡単にボールが飛ぶことから、手元で曲がる変化球の習得に励みます。

その変化球が、後の伊藤の野球人生を大きく左右することになる「高速スライダー」でした。

伊藤智仁のプロ入り前③頭角を現し、ヤクルトへ

高速スライダーを習得するために、下半身強化に努めます。
さらに腕を早く振ることを意識した結果、140キロ台だったストレートは常時150キロを超えるようになり、大きく曲がる高速スライダーを習得しました。

新たな武器を手に入れた伊藤は、1992年のバルセロナ五輪でギネス記録となる1大会27奪三振を奪う活躍を見せます。

そして、同年のドラフト会議でヤクルトからの指名を受け入団することとなります。

伊藤智仁のルーキーイヤー

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伊藤智仁のルーキーイヤーについて紹介します。

伊藤智仁のルーキーイヤー①巨人打線から三振の山

プロ初先発初登板で7回10奪三振2失点の好投で勝利投手となったのを皮切りに、150キロのストレートと高速スライダーを武器に投球回を上回る数の三振を奪います。

伊藤智仁の名を一躍有名にさせたのが、6月9日に行われた巨人戦です。
プロ初対決となる巨人打線相手に次々と三振を奪い、0-0で迎えた9回2死の段階でセリーグ記録タイとなる16奪三振を奪いました。
17奪三振の新記録をかかる場面で登場したのは、巨人の安打製造機・篠塚和典。
なんと伊藤は、篠塚にサヨナラ本塁打を浴びて敗戦投手になってしまいます。
1試合16奪三振を奪って敗戦投手になったのは伊藤が初めてとなります。

この快投以降、伊藤はさらなる活躍を見せていきます。

伊藤智仁のルーキーイヤー②登板過多で故障し戦線離脱

伊藤は「ルーズショルダー」という肩の持病を抱えていました。
当然ながら監督以下コーチ陣はそのことを知っていたため、コーチ陣は登板回数や投球回を減らすように監督へ促します。
しかし、当時ヤクルトの監督を務めていた野村克也は、コーチ陣を無視して伊藤の登板回数や投球回を多くさせました。

【前半戦での主な投球内容】
5月28日 12回  193球2失点で勝ち負けつかず
6月03日 9回  106球完封勝利
6月09日 8回2/3 150球1失点敗戦投手
6月16日 9回  126球完封勝利
6月22日 10回  127球完封勝利

1試合平均約140球を投げている計算になります。

登板過多が影響し、7月に肘を故障して戦線を離脱。
結果的にシーズン中に復帰することができず、ルーキーイヤーを終えることなりました。

伊藤智仁のルーキーイヤー③松井秀喜を抑えて新人王に

結果的に7月に戦線離脱することになりましたが、前半戦だけで7勝2敗、防御率0.91、完投5回のうち4回が完封という驚異的な成績を残しました。
この年、巨人に入団した松井秀喜を抑えての新人王受賞します。
来期以降の活躍を期待させますが、伊藤に待ち受けていたのは故障との戦いと長いリハビリの日々でした。

伊藤智仁が怪我に悩まされた現役2年目以降

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伊藤智仁の現役2年目以降について紹介します。

伊藤智仁の現役2年目以降①クローザ―としてカムバック

プロ2年、3年目はルーズショルダーに悩まされ、1軍登板なしに終わります。

4年目の後半戦で久々の1軍復帰を果たします。
5年目は開幕から1軍に入り、初めは先発として起用されていましたが、正守護神の不調により登板回数や投球回が少ないクローザー(抑え投手)に転向して7勝2敗19セーブを挙げました。

この年、怪我などのハンデを乗り越えた選手に贈られる「カムバック賞」を受賞しました。

伊藤智仁の現役2年目以降②再び先発の柱へ

6年目以降は、再び先発に戻ります。

6年目は打線の援護に恵まれず、6勝11敗と負け数が先行したものの、セ・リーグ3位の防御率2.72を記録し、初めて規定投球回に達しました。
7年、8年目も先発として8勝をマーク。

復活を遂げ、ヤクルト先発陣の柱としてこれからも活躍していくだろうと思っていた矢先、伊藤は再び故障に悩まされます。

伊藤智仁は怪我が癒えず引退へ…

伊藤智仁の現役引退までをご紹介します。

伊藤智仁の現役引退まで①手術を受けリハビリの日々

プロ8年目のオフ、伊藤は右肩を手術します。
その影響もあって、9年目はわずか1試合の登板に留まりました。
奇しくもプロ9年目の2001年はヤクルトがリーグ優勝・日本一を果たした年でした。

再起をかけて再び右肩の手術を受けます。
しかし、2002年の2軍戦で右肩を亜脱臼する大怪我を負い残りのシーズンを全てリハビリに費やします。

伊藤智仁の現役引退まで②引退勧告も現役続行

同年のオフに球団から引退勧告を受けますが、現役続行を強く希望します。
そしてプロ野球史上最大となる88%の減俸で1年契約を結びます。

「来季ダメなら引退」という覚悟を持って2003年のシーズンに臨むこととなります。

迎えた2003年シーズン。結果的にこのシーズンが伊藤にとって現役最後のシーズンとなります。
しかし、登板はおろかボールも投げられないほど肩肘の状態は悪く、今季限りでの引退もささやかれるようになります。

伊藤智仁の現役引退まで③再起をかけたマウンドへ

2003年10月25日、巨人2軍との試合。
再起をかけたマウンドへと登ります。
伊藤の姿を一目見ようと、2軍戦にもかかわらず多くの観客が集まりました。

結果は打者3人に対して内野ゴロ1つと四球2つ。
ストレートの最速は109キロ。

結果この試合が現役最後の登板となり、10月29日に現役引退を表明しました。

伊藤智仁はプロ野球史上最高の投手

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伊藤智仁はプロ野球史上最高の投手のひとりです。怪我ばかりの現役生活で大記録を残せたわけではありませんが、多くの人の記憶に残っています。

伊藤智仁は怪我に泣いた現役生活だった

最速150キロを超えるストレートと大きく曲がるスライダーを武器に衝撃的なデビューを飾った伊藤智仁でしたが、度重なる怪我に悩まされ、実働7年間でわずか37勝しかできませんでした。

そんな波乱に満ちた野球人生を過ごした伊藤を、ファンは「悲運のエース」と呼びました。

肩肘の負担を考えて登板数や投球回をもう少し制限していたら、球界に名を残すような偉大な投手になっていたかもしれません。

監督だった野村克也も、「伊藤を積極的に登板させすぎたことで選手寿命を縮めさせてしまい申し訳なく思っている。」という思いを抱いていました。
しかし、当の伊藤は「当時の先発投手は190球200球平気で投げていて、先発完投が当たり前だった時代。野村監督を恨んでなんかいません。むしろチャンスをもらっていました。」とコメントしています。

伊藤智仁は記録より記憶に残る投手

400勝を挙げた金田正一やシーズン24勝0敗という驚異的な成績を残した田中将大ら偉大な投手たちと比べ、通算37勝という成績は物足りなさを感じてしまうかもしれません。
野球界に与えたインパクトは凄まじいもので、野球ファンや野球関係者が選ぶ、プロ野球史上最高の投手の中に伊藤の名が挙げられるほどです。

現役生活が短く、突出した成績を残せなかったため知名度自体は低いですが、伊藤智仁という投手を知らなかった方は是非名前だけでも憶えていてください。

参考元

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