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2019/03/26
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パリーグ歴代助っ人まとめ(期待外れ編)

プロ野球でプレーした助っ人外国人の中で、全くと言っていいほど活躍しなかった選手が多くいます。 2000年代にパリーグでプレーしたものの、活躍できなかった期待外れの助っ人外国人を紹介します。

目次

ヘクター・カラスコ

守護神候補だったが、登板すれば打たれていた

2004年に近鉄バファローズへ入団した投手。
この年限りで近鉄が消滅したため、近鉄最後の助っ人投手となりました。

守護神候補として期待されていましたが、登板すれば必ずと言っていいほど打ち込まれる、不安定ぶりを露呈しました。

常に打ち込まれ炎上する様子から、「炎上神」とも呼ばれていました。

結果的に守護神としては活躍できなかったものの、スタミナがあったため、ロングリリーフや敗戦処理として重宝されました。

当然ながら1年で退団しました。

ルイス・ロペス

楽天創設年の助っ人。

2005年シーズンから参入した東北楽天ゴールデンイーグルスの記念すべき初代助っ人外国人。

チームで最初に死球を受けた選手で、満塁弾を初めて打ったのもロペス。

特に印象に残る活躍はなく、成績も低迷していました。

唯一話題になったのは、応援歌が「ドリフ大爆笑」のOPテーマのリズムであるということでした。

アンディ・グリーン

期待されるも結果は散々

2006年オフに日本ハムファイターズへ入団した内外野守れる中距離打者。

実は2005年オフにも獲得交渉していて、その時は決裂したため1年越しの獲得となりました。

06年限りでジャイアンツへFA移籍した小笠原道大に代わって三塁のレギュラーとして期待されました。

しかしシーズンが始めると打撃不振に陥り、その影響で守備でもお粗末なプレーを連発。

開幕してすぐに腰痛を発症し、2軍降格。
その後は再昇格することなくシーズン終了。
同年限りで退団しました。

バーナムJr.&チェイス・ランビン

2人揃って入団して2人揃って退団

2009年に千葉ロッテマリーンズへ入団した両助っ人。

バーナムは開幕直後は好調でしたが、徐々に下降し気が付けば打率2割台前半に。
スタメン出場した試合よりも、代打で出場した方が高打率という不思議な選手でした。
明るい性格とハッスルプレーでファンからの人気は高かったです。

ランビンは、内外野どこでも守れるユーティリティープレイヤーでスイッチヒッターという器用さを兼ね備えた選手という触れ込みで入団。
スタメンだけでなく、代走や守備固めなど様々な形で起用されました。
残念ながら打撃の方はさっぱりで、打率1割台に低迷。

シーズン終了後に2人揃って退団しました。

カルロス・ムニス

2軍で首位打者。なお1軍では・・・

2009年の春季キャンプ中に育成選手契約を結び、1か月後に支配下登録されます。

09年シーズンは1軍出場はありませんでしたが、2軍で首位打者に輝きます。
そして2010年シーズンに1軍初昇格を果たし初安打と初盗塁を記録しますが、出場機会が少なく、なかなか活躍できないまま同年限りで退団。

退団後にファンからは、出場機会をもう少し与えていたら活躍したのではという声も上がりました。

ブラッド・ペニー

たった1試合投げただけで解雇

メジャーで最多勝に輝いたことのある実績十分の投手。
日本のプロ野球球団にメジャー最多勝を獲得した投手が入団するのは史上初の出来事でした。

2012年に福岡ソフトバンクホークスへ入団し、先発の一角として最多勝の期待もされていました。

しかし、メジャー時代から問題児として有名で、よく練習をサボリ周囲を不安にさせます。
シーズン開幕5戦目に、来日初登板初先発すると、案の定大炎上し敗戦投手に。
その後、怪我の検査のためアメリカに一度帰国しますが、再来日することなく同年5月に退団。

年俸2億5000万という大型契約を結んだのにも関わらず、登板数わずか1試合で退団した、超期待外れな助っ人でした。

ユリエスキー・ベタンコート

開幕から大スランプで打率は1割台を推移

長くメジャーリーグで活躍し、シアトル・マリナーズ時代にはイチローとチームメイトだったことも。

2014年にオリックスバファローズに入団し、元メジャーリーガーということもあり、低迷するオリックスの救世主として大きな期待が寄せられました。

しかし、シーズンが始まると打率1割台と低迷し、開幕してすぐに2軍降格。
5月に再昇格しますが、目立った活躍はなく再び2軍へ。

2軍で怪我をし、検査のためアメリカへ帰国。
その後再び来日することはなく、7月下旬に契約解除となり退団。

一度も打率2割に乗ることなく退団となりました。

ケビン・ユーキリス

怪我の治療で帰国したっきり帰ってこなかった

日本でも馴染みのあるメジャーリーガー。
かつてボストン・レッドソックスやニューヨーク・ヤンキースで主軸を打っていた超大物。

2013年の球団初優勝・日本一の原動力となったケーシー・マギーが同年限りで退団。
マギーに代わる助っ人として同年オフに東北楽天ゴールデンイーグルスへ入団。
マギーも元メジャーリーガーでしたが、メジャーでの成績はユーキリスの方が上だったため、マギー以上の活躍が期待されました。

2014年、シーズン開幕2戦目に来日初本塁打を放ちますが、その後は打撃が低迷します。
4月下旬に踵の痛みを訴え、2軍降格。
検査のため一度アメリカへ帰国したまま、帰ってこずそのままシーズン終了。
その後、同年限りでの現役引退を表明しました。

結果的に、来日初本塁打が現役最後の本塁打になってしまいました。

ジョニー・ゴームズ

寂しくなって帰国。そのまま退団。

メジャー通算162本塁打の長距離砲。
2016年2月に東北楽天ゴールデンイーグルスへ入団。
日本一になった2013年から低迷が続いていたこともあり、打線の起爆剤として期待が寄せられました。

オープン戦で、変化球が苦手という弱点を露呈。
シーズン開幕してもその弱点は克服されず、開幕してすぐに2軍降格。
家庭の事情を理由に、アメリカへ帰国。
帰国後ゴームズが退団を申し入れ、球団はそれを承諾。

入団から3カ月、開幕から1カ月での超スピード退団となりました。

退団理由は
「話し相手がいなくて寂しい」「1人で寂しい」
といったものでした。

楽天は、2年前にもユーキリスで失敗しているため、大物助っ人を2人連続で外してしまいました。

ヤマイコ・ナバーロ

韓国プロ野球で外国人選手最多記録となる48本塁打を放ち、ゴールデングラブ賞を獲得し、チームの韓国一に貢献した長距離砲。

2016年に千葉ロッテと契約、野球とは関係のないところで問題を起こします。
移動のため那覇空港で手荷物検査を受けた際に、カバンから拳銃の弾1発が見つかり、沖縄県警に逮捕されます。
処分保留で釈放されますが、球団から謹慎を言い渡されます。
その後不起訴となりますが、NPBから当面の試合出場停止や制裁金などの処分を受けます。

出場停止が解かれ1軍昇格しますが、目立った成績は残せず同年限りで退団しました。

ナバーロが最も注目を浴びたのが、奇しくも拳銃を所持し逮捕されたというニュースでした。

エリック・コーディエ

炎上を繰り返したノーコン投手

メジャーで登板した実績もある投手で、最速160キロを超えるストレートが持ち味という触れ込みでした。

2015年オフにオリックスバファローズへ入団。
2015年シーズン不振だった守護神・平野佳寿に代わる守護神候補として期待されました。

オープン戦ではそれなりに良い投球をしていましたが、シーズン開幕すると別人のように炎上を繰り返します。
開幕戦で1点リードの9回に登板し逆転され敗戦投手に。

その後は何とか2セーブを挙げますが、制球難が露呈し四球で自らピンチを招くなど不安定な投球が続きました。

6月上旬に怪我で2軍降格、手術のためアメリカに帰国。
そのまま再来日することなくシーズン終了。
同年限りで退団となりました。

参考元

  • ・参照リンク:NPB.jp 日本野球機構
  • ・日本プロ野球助っ人外国人大図鑑―永久保存版 (B・B MOOK 809 スポーツシリーズ NO. 679)ムック

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