バスケットボール漫画の金字塔「SLAM DUNK」。主人公の桜木花道は、高校からバスケを始めた素人だが、驚異的なスピードで成長していき、チームに欠かせない存在となる。そんな桜木は自らを「天才」と称する。今回は、作中で起こった桜木花道の天才エピソードを紹介していき、最後には桜木花道の本当の姿が明らかになります。
天才!? エピソード(中学~バスケ部入部編)
中学3年間でフラれた回数はなんと・・・
SLAM DUNKのストーリーは、中学時代の桜木花道が卒業間近、同級生の女子にフラれたところから始まります。
その際の、桜木とその仲間たちのやり取りをみると、桜木は中学3年間でフラれた回数は、なんと50回にも及びます。
こんなに告白しても一度もOKが貰えなかった桜木は、ある意味天才と言っていいでしょう。
もしかすると、赤髪でリーゼントという中学生とは思えないヤンキースタイルが女子に受け入れられなかったのかもしれません。
結局、一度も恋が実らぬまま中学を卒業し、湘北高校へと進学していきました。
フラれ続けて50人
3年間一度も恋が叶わなかった桜木花道。
一度くらいは彼女との中学校生活を送りたかっただろうに…。
バスケ素人の桜木がバスケ部主将に勝利!?
湘北高校に入学後、桜木は同級生の赤木晴子の誘いで、バスケ部に入部することになるのだが、入部に至るまでに様々な出来事が起こる。
その一つが、バスケ部主将の赤木剛憲を前にして桜木がバスケットボール部のことを「タマ入れ遊び部」と侮辱する。
バスケをこよなく愛する赤木は、桜木の発言に激怒し、桜木と1on1の勝負をする。
赤木が10点先取で勝利、桜木は1点でも取れれば勝利というルールの中で、なんと桜木は10点を取られる前に赤木から1点を取り勝利してしまいます。
ハンデがあったとはいえ、バスケ素人の桜木がバスケ部主将に勝ったという出来事が、桜木がバスケ部入部を決め、バスケットマン桜木が誕生するきっかけとなりました。
バスケットマン桜木花道誕生
県内でもトップクラスのセンターと目される赤木に勝った桜木は、その後、湘北に欠かせない男へと成長していく。
天才!? エピソード(バスケ部編)
初出場した練習試合で天才!? ぶりを発揮?
桜木が入部後初の練習試合となった陵南高校戦で桜木は初出場を果たす。
しかし、極度の緊張から周りが全く見えず、いきなりトラベリングの反則を犯してしまいます。
その後も、相手選手のフェイントに引っかかり、そのまま相手選手の上に倒れこみ負傷させるなど、普段の威勢のいい桜木花道の姿はありません。
その後、チームメイトであり、桜木にとって終生のライバルとなる流川楓に喝を入れられてからは落ち着きを取り戻します。
自分より身長の高い選手を相手に、持ち前の身体能力を生かしたブロックショットや前日に赤木と特訓したリバウンドを披露するなど、威勢のいい桜木に戻ります。
試合終了間際に一時は逆転となるレイアップシュートを決め、記念すべき初得点を記録します。
試合には敗れたものの、相手監督や選手から一目置かれる存在となります。
陵南高校に強烈!? なインパクトを残した桜木
極度の緊張でトラベリングや相手選手を負傷させるといった最初のプレーを除けば十分な活躍を見せた桜木。その後、桜木はチームの中心に成長していきます。
退場王・桜木花道!
桜木花道には、いくつかの異名があります。
天才、天才バスケットマン、ゴール下のキングコング弟など、桜木が自称しているものがほとんどですが、中には周囲の人間が呼び始めた異名があります。
その一つが「退場王」です。
桜木が退場王と呼ばれるきっかけとなったのが、インターハイ予選です。
1回戦の三浦台高校戦から、決勝リーグ進出決定戦となる翔陽高校戦まで5試合連続で5ファール退場という珍記録を残してしまいます。
それを見た桜木の仲間たちは、桜木のことを「退場王」を呼び茶化すようになりました。
桜木が退場せずに試合終了までコートに立てたのは決勝リーグ初戦の海南大付属戦でした。
天才バスケットマン桜木もはじめは5ファール退場というルールにかなり苦戦していた模様です。
桜木花道の憂鬱
自称天才バスケットマン桜木も、5ファール退場というルールには物凄く苦戦していました。
2万本シュートをやり遂げる!!
インターハイ出場を決めた湘北バスケ部は、強豪校への遠征を行います。
しかし、桜木だけは遠征に帯同せず監督である安西光義と秘密の特訓を行う。
ダンクシュート、レイアップシュート、ゴール下とシュートエリアが狭かった桜木にジャンプシュートを教えるという特訓で、安西は桜木にシュート2万本というノルマを課す。
途方もない数でしたが、桜木の仲間たちや赤木晴子の協力もあり、回数を重ねるたびに上達していきます。
だんだん上手くなっていくことに楽しさを覚えながら、桜木は見事に2万本シュートをやり遂げます。
後に始まるインターハイでジャンプシュートを披露し、チームメイトや他校のライバルを驚かせました。
ここでは天才というよりも、努力家という一面も垣間見えました。
天才・桜木は、リハビリ王・桜木へ
インターハイで背中を負傷しリハビリ生活へ
インターハイでは初戦の豊玉高校に勝利し全国初勝利を飾ります。
2回戦では優勝候補筆頭の山王工業を接戦の末破りますが、この試合で桜木はボールを追いかけ来賓席に飛び込み背中を負傷します。
続く3回戦で愛和学院に敗れ、湘北は新チームへ代替わりをしますが、桜木は負傷した背中の怪我を治すためリハビリ生活へと入りました。
選手生命を脅かすほどの怪我ではなかったとはいえ、しばらくの間バスケができなくなりました。
しかし、桜木は再びバスケができるようになるために、一度「天才バスケットマン」の異名を捨て「リハビリ王」として再起することを誓いました。
天才とて怪我には勝てなかったものの、それに落ち込むことなく前を向いて復帰していこうとする姿は、2万本シュートの時のような努力家桜木の一面が見えたような気がしました。
リバウンド王からリハビリ王へ
インターハイの活躍で全国にその名が知れ渡った「神奈川のリバウンド王・桜木花道」は、その舞台をコートから病院に変え「リハビリ王・桜木花道」として復帰に向け戦っていくこことなる。
天才でもあり努力家でもあった
SLAM DUNKは桜木が高校入学してからインターハイまでの僅か4カ月ほどの出来事ですが、この4カ月間に桜木は驚くべきスピードで成長を遂げていき周囲を驚かせていきました。
こうしてみると、桜木は本当に天才だったのかもしれません。
しかし、天才である以前に人一倍練習に取り組む努力家だったのでしょう。
海南大付属戦で見せた、独特のフォームから放たれるフリースローや、ゴール下シュートの練習をしていて試合に遅刻したこと、山王工業戦で見せたシュートフェイクからのジャンプシュートなど、誰かから教わったわけでなく桜木自身で考えプレーをする姿を見ると、天才バスケットマン桜木の根底には、努力というものがあったことを感じさせられます。
周りに比べて経験が無く、できることも限られている中で、どうすればチームに貢献できるのかを考えプレーしていたのかと思うと、上達が早いことも納得できるのではないでしょうか?
上達の影には努力あり
驚くべきスピードで成長していった桜木を支えたもの、それは人一倍の努力でした。
まとめ
自らを「天才バスケットマン」と称していた桜木ですが、実は「天才」よりも「努力家」のほうがよく似合います。
バスケ素人だった桜木が、チームの中心へと成長していったのは周りの支えがあったからこそだが、それ以上に桜木が努力を惜しまなかったからである。
「単に天才だから成長が早かった」、というよりも「努力をしたから成長が早く、天才になった」という解釈のほうがふさわしいです。
この記事を読んだ後にぜひSLAMDUNKを読んでみてください。
桜木花道という男が努力家であるということに気付くはずです。
参考元
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