ヌメリヒトモドキ。 この嫌な語感の生物がはびこる世界に生きる主人公。亡くした妻の面影を追い求める彼がとった許されざる手段とは……。
異形の生物「ヌメリヒトモドキ」
この作品における現代日本には、ヌメリヒトモドキとよばれる奇怪な生き物が生息しています。姿は青白い粘膜の塊のよう。全身からひどい悪臭のする粘液を滴らせ、ナメクジのように這いずって移動する……これだけでも、どんなに醜悪な生物かお分かりいただけたと思います。
さらに「ヒトモドキ」たるゆえんとして、彼らは成長するにしたがってだんだん人間に似通った姿になっていくのです。しかしその造形は稚拙であり、時に鼻の穴が3個あったり、眼が握りこぶしほどもあったりするそう。中途半端に人間に似ているがゆえに、単なる異形の怪物よりずっと胸糞が悪い。
それがヌメリヒトモドキという生物なのです。
彼女にまた会うために
主人公は、ヌメリヒトモドキの研究者。何より愛していた妻を亡くしてすっかり人間的な感情から遠ざかり、ただ黙々と日々を過ごすだけの男です。
そんな彼は重大な秘密を抱えています。
それは、ヌメリヒトモドキを自宅で飼っていること。
見た目はおぞましい、匂いもひどい、常時垂れ流す粘液で掃除も大変、という生物を何故彼は飼っているのでしょう。
答えはヌメリヒトモドキの生態にあります。
自然のヌメリヒトモドキは人間に近い形をとるまでに何十年もかかるのが普通です。しかし、ある特定の人物の情報だけを与え続けるとその速度は飛躍的に早まり、外見がその人物に似てきて、最終的にはその人物の記憶まで有するようになるのです。
これを利用して、主人公は妻の記憶を持ったヌメリヒトモドキを作り出そうと――つまり、亡き妻を蘇らせようと目論んだのです。
彼女の成長日記
主人公は捕獲してきたヌメリヒトモドキを浴室に閉じ込め、妻の遺髪を切り取っては食べさせ、妻の思い出話を聞かせるという「教育」を日々施してゆきます。
そうするうちに彼のヌメリヒトモドキは亡き妻の面影を宿し、少しづつ、知能があるような動作を見せ始めるのでした。
先ずは主人公に興味を示し、観察したり匂いを嗅いだり、彼の手を握ってみたり、笑ってみたり……。
まだ人懐こい動物のようなことをしている段階はやがて過ぎ、さらに次へと進んでゆきます。
とうとう彼女は、言葉を得ました。
まだ妻の記憶や知能が戻ってきてはいないため、舌足らずで聞き取りにくく、語彙もありません。それでも「ああな」を「あなた」の呼びかけと信じて、手を握り合う主人公と、彼のヌメリヒトモドキ。
運命の輪が本格的に回りだすのは、この瞬間だったのかもしれません。
ほんとの「妻」は?
いつしか文中に「ヌメリヒトモドキの妻」という呼称が散見され始めます。最初はヌメリヒトモドキを、亡き妻を呼び戻すための依代としてしか見なかった主人公ですが、今は「妻の記憶を断片的に持つかもしれないヌメリヒトモドキ」として扱っていることの何よりの証でしょう。
「生前の妻」が飼っていた金魚をまた買ってきたときのとぼけた反応。「生前の妻」がやはり飼っていたハムスターに嫌われて、悲し気にする様子。
そして、彼の手を握り返す、柔らかな手のひら。
主人公は、愛してしまったのです。
世界で一番醜悪で、臭くて、掃除の面倒くさい生き物を。
別れと、出会いと。
このままに止めおきたいと思う状況は数あれど、実際にそれで留め置けるかと言えば無理な相談。
主人公は今の、ヌメリヒトモドキである妻を愛し、手放しがたく感じています。しかしもう一段階進化が進んだならば、今度こそ亡き妻の生前の魂を持ったヌメリヒトモドキに生まれ変わる。
主人公はそれが嫌だったのです。
今のままで、ちょっとしたことしか話せない、ヌメリヒトモドキの「妻」と、彼は暮らしていきたかったのです。
しかし時間は残酷に過ぎて「妻」に進化の季節を運びます。その衝動に抗えるヌメリヒトモドキなどいません。
今や完全に亡き妻の記憶を得たヌメリヒトモドキ。というより、ヌメリヒトモドキの身体を得て蘇生した妻。そして、今までのヌメリヒトモドキの妻との、蜜月を返してほしい主人公。
あなたには、どちらが哀れに感じられますか?
参考元
- ・なまづま角川書店
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