趙軍の進攻に対して、秦は大将軍、怪鳥「王騎」率いる軍で対抗します。王騎をも上回るその知略を見せた、趙軍の黒幕がついに明らかになります。驚愕の戦略に対して、王騎をはじめ秦の運命やいかに?!戦国乱世の時代が、新時代に突入するきっかけとなった秦と趙の一戦についてまとめました。
山間に本陣を移した趙軍
攻勢に出る秦軍に対して、趙軍は早々に本陣を山間に移します。
王騎は、仮に趙軍の本陣が山間に引いた場合は、追うか追わないかの判断は、現場の将に一任していました。
ただし、追う場合にも元々の秦軍本陣を配置していた山が見える位置まで、との条件をつけていました。
これに対して、現場の一軍を指揮していた蒙武は、勢いそのままに趙軍の本陣を追うのでした。
王騎は、趙軍の一連の動きに策略の気配を感じつつも、王騎の知る限り、趙にそこまで大局的な戦略を練る軍師はいませんでした。
また、こちらから本陣を移動させなければ、姿を現さない敵大将を捕捉できないという状況もあり、王騎は本陣を移動させました。
敵大将である、ほう煖(ほうけん)を追う蒙武は、山間に潜む趙軍の伏兵に遭い、次第に戦力を削られていきます。
蒙武軍は、釣り鐘状の谷間へと追いやられ、逃げ場のない状況に立たされます。
そんな中、秦軍の中で唯一連絡が取れない蒙武たちを案じ、王騎は蒙武軍を追いかけるのでした。
王騎軍本陣が蒙武軍が窮地に追いやられている、釣り鐘状の谷間に到達したことで、ようやく趙軍と秦軍の本陣が合間見えることになりました。
早々に、趙軍本陣を落としにかかる王騎に、直属の家臣たちは違和感を覚えます。
趙軍の将である趙荘も同様に違和感を感じ、よもや王騎に別動隊の存在を悟られたかに思いました。
実はこの時点で王騎は別動隊の存在に気づいていた訳ではありませんでした。
ただ、これまで趙軍の動きや、釣り鐘状の谷間という戦場から伏兵の存在を予測していました。
そして、戦場に放っている偵察隊が伏兵の存在を探知できないことから、戦場への伏兵の到着は早くとも一日はかかると計算していたのでした。
三大天「李牧」の登場
しかし、趙軍の別動隊は王騎の予想よりも遥かに早く戦場に到着したのでした。
そのために王騎軍は、趙軍本陣と別動隊に挟撃される形となりました。
そして、ここまで周到な策を巡らせた張本人が、三大天「李牧」であることが明らかになったのです。
李牧は、北方の騎馬民族の討伐のために12万人の軍を秘密裏に起こし、その軍を南下させることで別動隊としたのでした。
情報統制は厳重に行われており、趙軍内でさえも、別動隊の存在を知るものは、趙軍を率いていた趙荘のみでした。
さらに、この状況に加えてほう煖の槍で王騎が致命傷を負います(趙軍の弓使いである魏火が一騎討ちの最中に王騎を影から狙ったことによる)。
兵士たちは思わず武器を捨ててしまう程に絶望的な状況でしたが、王騎は胸を貫かれてなお、兵士達を鼓舞します。
王騎の死と趙軍の撤退
王騎軍の副官である騰や、蒙武の奮闘により王騎軍は窮地から脱出します。
脱出の際、王騎の体を支えようと信は王騎の馬上に行きます。
そして、大将軍が見る戦場の景色を教えられるのです。
最後に王騎は、蒙武、騰に声をかけます。
そして矛を信に託し、馬上に座したまま息を引き取りました。
李牧は王騎軍を深追いすることはしませんでした。
今回の戦は、王騎という列国の驚異となる名将を倒すことが第一の目的であり、いたずらに趙軍の被害を拡大することを避けるためです。
一方の秦軍は、進攻してきた趙軍を撃退したという戦果はあるものの、王騎という大将軍を失い誰一人として喜ぶ者はいませんでした。
戦国乱世の時代は、李牧をはじめとして新時代に突入する様相を呈していました。
参考元
- ・キングダム集英社
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