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2017/06/26
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セリーグ歴代助っ人外国人まとめ(期待外れ編)

プロ野球の長い歴史の中で、様々な助っ人外国人選手がプレーしてきました。 日本野球に上手く順応して素晴らしい成績を残してチームに貢献した選手がいる中で、全く活躍できずに日本を去ったという選手もいます。 数多くの助っ人外国人の中で、2000年以降にセ・リーグでプレーし、全く活躍できなかった選手をご紹介していきます。

目次

クリス・レイサム

アウトカウント間違い事件

メジャー移籍した松井秀喜の穴を埋めるべく、2003年4月下旬にジャイアンツへ入団します。

決勝本塁打やサヨナラ本塁打など放ち多少は活躍しましたが、成績自体は低迷しました。
03年~04年の2年間在籍しましたが、04年は1軍出場がないまま退団しました。

レイサムを語る上で欠かせないエピソードとして「アウトカウント間違い事件」という珍エピソードがあります。

2003年5月21日に福岡ドームで行われたヤクルトスワローズ戦での出来事。
ジャイアンツが1点リードで迎えた6回表1死1・2塁の場面、左翼を守っていたレイサムは2死目のフライを取った後、アウトカウントを3アウトと勘違いしてボールをスタンドへ投げ入れてしまいました。
このプレーで、走者は2塁分の進塁が許され、ジャイアンツは同点に追い付かれました。

結果的にジャイアンツが2-1で勝利したため戦犯扱いにはならず済みましたが、翌日のスポーツ紙一面を飾りました。

ダン・ミセリ

巨人の新守護神候補も1カ月で解雇

2004年オフに読売ジャイアンツと契約します。
本人は04年限りで引退するつもりでいましたが、ジャイアンツからの強い希望で現役続行をします。

キャンプでは、当時監督を務めていた堀内恒夫からコントロールの良さを評価され、抑え投手として起用することが決定します。
しかし、オープン戦が始まると不安定投球内容を露呈し、投手陣に不安を抱えたままシーズン開幕を迎えます。

4月1日の広島東洋カープとの開幕戦で先発を務めた上原浩治が8回1失点の好投を見せ、1点リードの9回にミセリがマウンドへ。
すると、いきなり同点本塁打を浴び、そのあと勝ち越しの2点本塁打も打たれて敗戦投手に。
リベンジをかけた4月5日の横浜ベイスターズ戦では、延長12回裏同点の場面で登板してサヨナラ負けを喫し、敗戦投手に。

その後も散々な投球内容が続き、4月19日にジャイアンツ史上最速で解雇されました。

ゲーブ・キャプラー

守備力が魅力で獲得も、その守備が弱点だった

2004年オフに契約したバリバリのメジャーリーガーで、俊足を生かした守備と強肩が魅力でした。

キャンプでは自慢の強肩を披露し、周囲に期待を抱かせます。
しかし、シーズンが始まるとバックホーム時の送球モーションが大きすぎるため、簡単にランナーの生還を許してしまうことが多々ありました。
送球モーションを小さくした結果、強肩が生かされなくなり、結局ランナーに生還され放題となりました。

打撃面でも打率1割台と振るわずに、2005年7月に契約解除となりました。

ディオニス・セサル

メキシカンリーグMVPも日本では実力発揮できず

2009年にメキシカンリーグで首位打者と盗塁王を獲得し、シーズンMVPを獲得した実績を誇る内外野どこでも守れるユーティリティープレイヤーです。

09年オフに中日と契約して「日本で首位打者と盗塁王を獲得したい」と意気込んでいました。
しかし、蓋を開けるとオープン戦から打撃不振が続き、シーズンが開幕しても不振から抜け出せず守備でも失策を多数犯すなど散々なことに。

4月途中に2軍降格。5月中旬に再昇格を果たし、そこそこ活躍しだした矢先に自業自得の守備で負傷して再び2軍へ。
その後も、1軍と2軍を行ったり来たりを繰り返し、シーズン終了と同時に自由契約に。

首位打者と盗塁王を取りたいと意気込んでいましたが、打率.215で盗塁2という結果に終わりました。

スティーブ・コックス

巨額の年俸がパーに。

2002年オフに、当時監督を務めていた山下大輔が左の大砲を獲得したいということで契約。
コックスは当時まだ20代後半ということで将来性を見据え、3年3億の大型契約を結びます。

03年のキャンプでいきなり膝を負傷します。
開幕には間に合わず、1軍デビューは5月中旬になりました。
しかし、再び膝を負傷し、その後再び1軍に戻ることはありませんでした。

出場わずか15試合での退団となり、球団は3年契約を結んでいるため、退団後も年俸を払わなければなりませんでした。

ケビン・ウィット

当たれば飛ぶけど滅多に当たらない

2005年に昨季限りで退団したT・ウッズの代役として期待されて契約します。
04年にメジャー3Aで本塁打王に輝いた左の大砲でしたが、シーズンが始まると不振に陥り、本塁打がわずか4本という期待外れの結果に。
たった1年で退団しました。

その後、07年に東北楽天ゴールデンイーグルスに入団しますが、目立った成績は残せずにこれまた1年で退団します。

当たれば飛ぶというパワーの持ち主でしたが、ほとんどバットの当たりませんでした。

ケビン・メンチ

期待を大きく裏切った元メジェーリーガー

2006年テキサス・レンジャーズ時代に右打者初の7試合連続本塁打を記録した現役メジャーリーガーでした。

07年オフに阪神タイガースと契約します。
メジャーリーガーということもあり、首脳陣だけでなくファンからも期待されていました。

しかし、オープン戦で140キロ台のストレートもまともに打てないという弱点が発覚し、オープン戦打率1割台と不安を抱えての開幕となります。

シーズン開幕すると全く打てず、他の選手の不振もあって試合には出場していたものの散々な結果に終わります。
体調不良を訴えて一度2軍に降格し、2軍で好成績を残したため1軍に再昇格します。
しかし結果は出せず、若手の台頭もあって出場機会を奪われ、再び2軍へ降格します。

再度1軍に上がることはなく、同年オフに退団しました。

ブルックス・コンラッド

GMが惚れ込んで獲得も・・・

当時阪神のGMだった中村勝広が、コンラッドの映像を5分見ただけで獲得を即決するほど、中村が惚れ込んでいました。
スイッチヒッターで内野ならどこでも守れるため、使い勝手が良い選手でした。

オープン戦ではチーム第1号本塁打を放ち、コンスタントに結果を残していたため期待が寄せられました。

シーズンが始まると、初めは結果を残していましたが徐々に成績が下降し、守備でも失策を犯すなどして一度2軍に降格します。

交流戦に入って再昇格し、代打や指名打者で起用されますが、結果を残せずに再び2軍へ。

その間にトレードを行ったり新外国人等を補強したりしたことで、その後再昇格することはなく、シーズン途中の9月に帰国し、そのまま退団しました。

ブライアン・バニスター

原発事故が不安になり引退

メジャーで月間最優秀新人にも輝いたことのある投手。
2011年にジャイアンツに入団し、先発ローテ入りが期待されましたが、東日本大震災の原発事故に不安を抱き、誰にも相談せずに無断帰国します。
球団は再来日するように要請しますが、「もう野球はやらない」と応じず、そのまま引退しました。

ルルデス・グリエル・Jr

1軍出場ゼロ。1年で自由契約。

横浜ファンの中でも見たことがないという人も多いはずです。
2014年シーズンからDeNAに加入した「キューバの至宝」こと、ユリエスキ・グリエルの実弟で、2015年2月に入団します。
兄譲りの打撃力を誇り、兄弟揃っての活躍が期待されていました。
しかし、怪我の治療をするために兄弟そろってキューバに帰国したっきり日本には戻らず、結果1軍で一度も姿を見せないまま同年12月に自由契約になりました。

ルルデスの個人応援歌も準備されていただけに、一度も演奏されることなく封印されてしまいました。

参考元

  • ・日本プロ野球歴代全選手写真名鑑―1936ー2014 (B・B MOOK 1144)ムック
  • ・参照リンク:NPB.jp 日本野球機構

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