『ふたつの名前を持つ少年』は、第二次世界大戦のドイツで、8歳の少年がたったひとりで終戦まで生き延びた実話を映画化した作品である。愛された名前を捨て、勇気を与えてくれた名前が自分を救ってくれた。少年はどうやって生き延びることができたのか。自身の目で確かめてみて欲しい。
『ふたつの名前を持つ少年』とは
2015年に公開された『ふたつの名前をもつ少年』は、ナチス占領下をたったひとりで終戦まで生き抜いた8歳の少年の物語である。
原作は、国際アンデルセン賞を受賞した児童文学作家ウーリー・オルレブの『走れ、走って逃げろ』。
また、原作者自身もユダヤ人収容所に入れられた経験があるという。
8歳のユダヤ人少年が名前を捨て、ポーランド人孤児として3年もの間、森で寝泊りしたり農場で働いたり、時には川の中に潜みながらも生き抜いた感動の実話である。
なぜユダヤ人というだけで、こんな目に遭わなくてはならないのか。なぜ8歳の少年がこれほどまで過酷な人生を歩まなければならなかったのか。
少年の純粋な瞳がそう問いかけているようにも聞こえる。
作品を理解するためのワード用語
ゲットー
ゲットーとは、古くからユダヤ人たちが暮らす居住区域のことだが、ナチス占領下においてユダヤ人を強制的に住まわせた居住区もこう呼ばれている。
ドイツでの正式名称はワルシャワ・ゲットーといい、周囲を18キロにも及ぶ壁で囲まれ、多くのユダヤ人たちを収容し外部との接触を一切断った。
パルチザン
パルチザンとはポーランド人で組織化されたナチス抵抗軍のことである。
ポーランドの地下国家で形成された軍人による人民軍や、市民で作られた市民軍などがある。
ゲシュタポ
ゲシュタポとは、ヒトラーが政権を握った際に結成されたドイツ国家秘密警察のことである。
ナチスの勢力拡大に役立ち、主にユダヤ人に対する暴行、弾圧、処刑などを行っていた。
ユダヤ人を強制収容所に連行するのもゲシュタポの役割である。
SS
ヒトラーの親衛隊として発足したSSは、血統を認められたものだけが加入できるエリート集団である。
このSSによってヒトラーの権力が急速に拡大した。また後に、軍事組織保有も許可されている。
黒い制服を着ているのが特徴で、強制収容所の管理や運営の全てを任されていた。
割礼
割礼とは、ユダヤ教の通過儀礼として行われる儀式のことで、生後8日目に男性性器の一部を切り取るものである。
当時、ユダヤ人かそうでないかを見分けるのにも使用されている。
ユダヤ教では神との契約を結ぶといった意味があり、この物語では少年にズボンを脱ぐように言うシーンが、何度も見られる。
親も名前も忘れて生き続けろ!
舞台は1942年。
親も名前も忘れれていい。しかし正体は隠しても自分がユダヤ人ということは決して忘れてはいけない。
それがスルリックと父との最期の約束となった。
強制収容所から抜け出した8歳の少年スルリックは、父との約束通り”ポーランド人孤児のユレク”と名を変えた。
飢えと寒さで餓死寸前で倒れたところを、ポーランド人のヤンチャック夫人に救われた”ユレク”。
夫人は、しばらくの間ユレクを住まわせた。
そして、この先も追手から逃れられるよう、キリスト教の教えから架空の生い立ちや受け答えの仕方まで、全て教え込んだのだ。
必ず生き延びるという父との約束を、命がけで守ろうとする強い思いはあったが、心の奥底で父のことを決して忘れることはなかった。
父への思いがあったからこそ、ユレクはずっと生き延びることができたのだろう。
8歳の少年を演じたのは双子の兄弟
8歳の主人公を演じたのは、アンジェイとカミルという双子のカクツ兄弟である。
どっちがどこを演じたのか気づかないほどソックリで、ふたりともスルリック役とユレク役の両方を演じている。
双子とはいえ性格は全く違うというカクツ兄弟。そのおかげで、いろんな状況を表現できたと監督はいう。
その通りふたりの演技力は見事で、その表情で自分がいまどんな状況に置かれているか、スクリーン越しに伝わってくる。
同じ緊迫したシーンでも、ナチスと話すときとポーランド人と話すときでは、まったく違う顔を見せるのだ。
カミル・カクツは、2014年モントリオール世界映画祭グランプリ受賞作品『幸せのありか』にも出演した。
”収容と逃走”どちらがいいのか
強制収容所に収容されていつ殺されるか分からない状況と、いつ食事ができるのか分からないまま逃げ回る状況のどちらがいいのか。
収容所に収容されていからといって、命が保障されているわけではない。
働けない者はガス室に送られてしまうし、働ける者は価値がなくなるまで働かされたという。
また、次第に収容人数が過度になり、病気蔓延や物資不足によって多くの者達が命を落としたという。
逃走した場合、餓死したりゲシュタポに見つかって殺害されたり、誰かに通報される恐れもある。
どちらがいい方法なのか、その答えはないだろう。
しかし、ユレクは逃げて生き延びることを選んだからこそ、助かったのかもしれない。
ユダヤ人というだけで迫害された時代
この時代、似たような経験をした方はとても多かったのだろう。
では、なぜユダヤ人だからという理由で迫害されなくてはならなかったのか。
ヒトラーはなぜユダヤ人を嫌ったのだろう。アーリア人こそが優越民族だというヒトラーは、アーリアの血にユダヤの血が混ざることを嫌っていたようだ。
ユダヤを滅ぼさなければドイツだけではなく、世界がユダヤ人に滅ぼされると思い込んでしまったともいわれている。
初めはユダヤ人を隔離して外部と接触させないようにしていたが、次第に虐殺へとエスカレートしてしまったという。
また、ヒトラ-はナチ党に入る前は画家を目指しており、ユダヤ人とは良い取引もしていたようだが、どこでどう変わってしまったのだろう。
一部では自分の絵を買い取るのを渋ったのがユダヤ人だともいわれたこともあったようだが、真実は明かされていない。
衝撃の実話が語りかけるもの
たった8歳の少年が終戦までの3年間を生き延びた感動物語だが、何が彼の命を守っていたのか。
それは”生き延びる”ことに執着したことにある。それは父親との約束でもあったが、彼は決して諦めなかった。
猟犬の追われても、ゲシュタポに追われても、ひたすら走りぬいて逃げ延びたのだ。
どんなときでも決して諦めなかった少年の姿は、現代を生きる全ての人に”諦めないこと”を伝えている。
諦めなかった彼の目には何が見えたのか…。
参考元
- ・参照リンク:ひかりTV-光がテレビをかえてゆく
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