ファミコン、プレイステーション、Wii、etc…家庭用ゲーム機が世に普及してからというもの、ゲームハードはその時代の覇権を争ってきました。しかし、勝者がいれば、また敗者も存在しているのです。
ゲームの市場競争に負けていったゲームハード達
日本で始めて家庭用ゲーム機が発売され、最初にブームとなったのは1980年代前半に任天堂から発売された「ゲーム&ウォッチ」や「ファミリーコンピュータ」でしょう。
特にファミコンが、1980年代のゲーム市場を牽引していきましたが、その裏でトミーの「ぴゅう太」や、SEGAの「SG-1000」など、日の目を見ないゲーム機が多数登場していました。
今回は、そんな消えていったゲームハード達を紹介していきます。
ドリームキャスト(SEGA)
SEGAが1998年に発売した「ドリームキャスト」は、SEGAの取締役でもあった湯川専務のCMが有名ではないでしょうか。
これは、当時一世を風靡していた「プレイステーション」からシェアを奪還するため、SEGAの威信をかけて作られたハードでした。
しかしこの「ドリームキャスト」は、
・発売前から生産に必要なパーツが予定数確保出来ず、販売当初の出荷台数が大幅に下回った
・ソフト会社は全て「プレイステーション」に流れ、慢性的な深刻なソフト不足に陥った
ことにより「プレイステーション」に勝つことは出来ませんでした。
「ドリームキャスト」は2001年に販売停止を宣言。その後SEGAはゲーム機の製造から撤退することになりました。
バーチャルボーイ(任天堂)
任天堂が1995年に発売された「バーチャルボーイ」は、一見家庭用ゲーム機には見えない外見をしています。
当時の開発を主導したのは、「ファミコン」や「ゲームボーイ」を生み出した故横井軍平さんでしたが、それらのように成功とはいきませんでした。
1995年7月21日発売 / レッドアラーム とびだせ!ぱにボン
このゲームは赤い箱を覗き込むことによって、ゲームが立体視で見えるというもので、当時としては画期的なゲーム機でした。
しかし、覗き込んで初めてゲームの内容と立体感が分かる仕様の為、
・どんなゲームなのか周囲の人は分からない
・雑誌やテレビで立体感を再現出来ない
といったプロモーションで失敗が重なり、このゲームは日の目を見ないまま終わってしまいました。
しかし「ニンテンドー3DS」が発売する15年も前に、任天堂が立体視をゲームで実現させていたは驚きですね。
ワンダースワン(バンダイ)
1995年以降、「ポケットモンスター」の大ヒットにより携帯ゲーム機市場は「ゲームボーイ」の天下となっていました。
そんな携帯ゲーム機市場に1999年に登場したのが、バンダイから発売された、この「ワンダースワン」でした。
1999年3月4日 バンダイ 任天堂のゲームボーイを製作した横井軍平が任天堂を退職後に起業したコト社が、企画・開発に大きく関わった携帯ゲーム機 ジングル音源:フリーBGM DOVA-SYNDROME http://dova-s.jp/ ※※※※※※※※※※※※※※※※※ 【Kazuya Gamesのチャンネル登録...
この「ワンダースワン」も先程の「バーチャルボーイ」と同じく、故横井軍平さんがニンテンドー退社後に制作に携わったゲーム機です。
価格も4,800円と携帯ゲーム機としても破格の値段で販売、さらに「ファイナルファンタジー」などのキラー作品を投入し、順風満帆かと思われました。
しかしこのゲーム機は、
・携帯ゲーム機もカラー画面が主流だった時代に、コスト削減の為にモノクロで販売
・後年の人気ソフト不足と「ゲームボーイアドバンス」登場によってシェアを一気に奪われた
ことが原因となり、2003年にバンダイはゲーム機市場から撤退することになりました。
ニンテンドー64DD(任天堂)
「ニンテンドー64」と言えば1995年の発売以降、「プレイステーション」と市場を争ったハードですが、このゲーム機には全く売れなかった周辺機器がありました。
それがこの、1999年に発売された「ニンテンドー64DD(ディスクドライブ)」です。
A funky Japanese Nintendo 64DD promotional video, circa 1997. Featuring demonstrations of; Talent Maker Polygon Maker Picture Maker
「ディスクシステム」のように書き換え可能なソフトの供給と、インターネットの普及が始まった背景から、メールやブラウザ閲覧を実現した高性能ゲーム機だったのですが、見事に大コケしてしまいました。
その原因は、
・64DDを入手するには付属のプロバイダ契約が必須
・決済はクレジットカードのみ
・ゲームを遊ぶには、月額2,500円がかかる
という、任天堂のメインターゲットである子供のことを考えていなかったのが失敗要因でした。
結果、64DDは10本のソフトを提供したのみで、その生涯を終えました。
PSP go(SCE)
「PSP go」はSCE(ソニー・コンピュータ・エンタテインメント)が、「PSP(プレイステーション・ポータブル)」のバリエーション機として2009年に販売した携帯ゲーム機です。
2009年11月1日:ソニー PSPとの違いはUMDが廃止、コンテンツはすべてダウンロード。 2011年4月20日に不振により出荷終了・・・「ユーザーのこころは全く動かず」大惨敗に終わった ジングル音源:フリーBGM DOVA-SYNDROME http://dova-s.jp/ ※※※※※※※※※※※※※※※※...
「PSP」よりも薄型・軽量化が図られ、ゲーム機内に16GB のメモリを搭載。更にBluetooth搭載で、音楽も動画も楽しめるというものでした。
しかし、この「PSP go」は「PSP」のゲームソフト規格であったUMDとの互換性がなく、ソフトを完全にインターネットからのダウンロードに頼る必要がありました。
この仕様が原因で、
・既に「PSP」を持っている人が乗り換えしにくい・ゲームを中古で売ることが出来ない
・スマホが普及しきっておらず、利用者がネット経由でダウンロードすることに慣れていない
・「PSP go」が普及されると、ソフトが店舗で売れなくなるから、店舗が売ろうとしない
といった問題が浮上し「PSP go」は市場からは消えていったのです。
ピピンアットマーク(アップル・バンダイ)
1996年に、バンダイとあのアップルコンピュータが共同開発したのが、この「ピピンアットマーク」です。
Mac OSと互換性をもったOSを搭載し、Macのソフトが使用可能、ダイヤルアップ接続が可能と、ほぼPCと言っても過言ではないゲーム機でした。
1996年3月発売 アップルとバンダイが開発。 ダイヤルアップ接続でインターネットに接続できるマルチメディア機。 チャット機能がアダルトに利用されかねないとバンダイ社長により生産中止。 2002年までサポートは続けられた。 ジングル音源:フリーBGM DOVA-SYNDROME http://dova-s.jp/...
しかしこのピピンアットマークは、
・PCのシェアはWindows95が独走状態でMacの知名度が無い
・慢性的なソフト不足
・価格が49,800円と、当時の据え置き機と比較しても高かった
という理由により、市場で勝つことは出来ませんでした。
その結果、世界売れたのはたった4万2千台で、「世界一売れなかったゲーム機」という、不名誉な称号を得るハメになったのです。
いかがでしたでしょうか。
今はもう手に入りにくいゲームばかりですが、過去に沢山の市場争いがあったからこそ、今のゲーム文化が日本に根付いているのかもしれませんね。
参考元
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