日本のプロ野球でプレーした助っ人外国人は数知れず。チームの中心選手として活躍した選手もいれば、期待外れに終わった選手もいます。そこで今回は、パリーグで活躍した助っ人外国人の中で特に印象深い活躍を見せた選手をご紹介していきます!
- パリーグ助っ人外国人①ロベルト・バルボン【阪急で活躍した伝説の韋駄天】
- パリーグ助っ人外国人②ブーマー・ウェルズ【巨漢ながら器用さと選球眼の良さが光る打撃の名手】
- パリーグ助っ人外国人③ラルフ・ブライアント【近鉄を逆転優勝へ導いた伝説の4打数連続弾】
- パリーグ助っ人外国人④オレステス・デストラーデ【西武黄金時代を築いた「カリブの怪人」】
- パリーグ助っ人外国人⑤アレックス・カブレラ【シーズン55本塁打を放った西武史上最強の助っ人】
- パリーグ助っ人外国人⑥タフィ・ローズ【外国人最多の通算本塁打記録保持者】
- パリーグ助っ人外国人⑦フェルナンド・セギノール【史上最強のスイッチヒッター】
- パリーグ助っ人外国人⑧エルネスト・メヒア【西武打線を牽引する怪力スラッガー】
- パリーグ助っ人外国人⑨ブランドン・レアード【お寿司が大好きな2016年本塁打王】
パリーグ助っ人外国人①ロベルト・バルボン【阪急で活躍した伝説の韋駄天】
今の人は「バルボン」という名前にピンと来ないかも知れませんね。日本でプレーしていたのは今から50年以上前に遡ります。
1955年に阪急ブレーブスへ入団します。
俊足を武器に1年目に49盗塁を記録。
1958年~60年にかけて3年連続で盗塁王を獲得します。
打撃にも定評があり、1964年に通算1000本安打を達成。
長いプロ野球の歴史の中で外国人選手が盗塁王を獲得したのはバルボンを含め2人だけで、もう1人とラリー・レインズという選手もかつて阪急に所属していました。
パワーが武器の助っ人外国人とは違った魅力を持つ選手でした。
パリーグ助っ人外国人②ブーマー・ウェルズ【巨漢ながら器用さと選球眼の良さが光る打撃の名手】
出典:amazon1983年に阪急ブレーブスに入団。
身長2m、体重100㎏の巨漢で入団当初から飛ばし屋として注目を浴びます。
入団2年目の1984年に外国人選初の3冠王に輝き、リーグMVPを獲得します。
怪力ぶりが象徴するエピソードとして、1988年に西武ライオンズのエース・渡辺久信から推定162mの特大場外本塁打を放ちました。
この本塁打は、現在でも日本最長記録の本塁打になっています。
さらに、1989年にはチームメイトの門田博光がホームランを打ちハイタッチで出迎えた際に肩を脱臼するという珍事が発生しました。
巨漢で怪力でありながら、3冠王を獲得したことからも分かる通り非常に器用な選手で、球界随一の打撃技術を誇りました。
また、選球眼も非常に良くて、やみくもにバットを振らずしっかりとボールを見極めることができる選手でもありました。
日本通算10年:1413安打277本塁打901打点・打率.317
パリーグ助っ人外国人③ラルフ・ブライアント【近鉄を逆転優勝へ導いた伝説の4打数連続弾】
ブライアントは元々、1988年に中日ドラゴンズへ入団しました。
入団してすぐに金銭トレードで近鉄バファローズへ入団。
ブライアントを一躍有名にしたのが1989年10月12日の西武ライオンズとのダブルヘッダー。
優勝を左右する非常に大事な試合でブライアントは第1試合で3打席連続本塁打を放ち大逆転勝利をもたらします。
続く第2試合では、第1打席は四球を選んだ次の打席で本塁打。
プロ野球タイ記録となる4打数連続本塁打を放ちダブルヘッダー連勝を飾ります。
三振が非常に多い選手として有名で、204三振というシーズン最多三振記録を持っています。
しかしながら、三振を恐れずどんどんバットを振ってくるため投手に与えるプレッシャーは凄まじいものがありました。
日本通算8年:778安打124本塁打641打点・打率.261
パリーグ助っ人外国人④オレステス・デストラーデ【西武黄金時代を築いた「カリブの怪人」】
出典:amazon1989年のシーズン途中6月上旬に入団。
2軍で数試合出場して即1軍昇格をし、デビュー戦で本塁打放つ鮮烈デビューを飾ります。
1年目から日本野球に適応し、不振だったバークレオや故障した清原和博の穴を埋める活躍をしました。
その後も、秋山幸二、清原和博と共に西部強力打線を構築し3人の頭文字を取って「AKD砲」と呼ばれました。
90年91年シーズンには2年連続本塁打王に輝きリーグ連覇に貢献。
森祇晶監督時代の西武黄金期を支えました。
キューバ出身ということで、日本では「カリブの怪人」という愛称が付けられていました。
パリーグ助っ人外国人⑤アレックス・カブレラ【シーズン55本塁打を放った西武史上最強の助っ人】
2001年に西武ライオンズに入団し、2002年には当時のプロ野球記録となる55本塁打を記録し本塁打を獲得。
2003年にも50本塁打を放ち、落合博満以来2人目の2年連続50本塁打以上を記録しました。
驚異的なパワーを持ち、西武ドームで天井直撃の認定本塁打を記録したことも。
豪快な打撃が魅力ですが、実は打率も高く日本通算打率は3割を超えています。
西武退団後はオリックス、ソフトバンクでも活躍しました。
日本通算12年:1368安打357本塁打949打点・打率.303
パリーグ助っ人外国人⑥タフィ・ローズ【外国人最多の通算本塁打記録保持者】
出典:amazon1996年に近鉄バファローズに入団。
入団1年目から日本野球に適応して近鉄いてまえ打線の中核を担いました。
2001年には当時のプロ野球記録である55本塁打を記録し、王貞治氏の持つ記録に肩を並べます。
この年クリーンナップを組んだ中村紀洋も本塁打46本を放ち、3番ローズ4番中村の2人で合計101本塁打を量産しました。
近鉄で2001年、2003年に、巨人移籍後の2004年に本塁打王に輝き、外国人初の両リーグで本塁打を獲得しました。
その後、1年間アメリカでプレーしたのちに2007年にオリックスへ復帰。
2009年に一度は引退しましたが、2015年に日本の独立リーグでコーチ兼任選手として現役復帰しました。
日本通算13年:1792安打464本塁打1269打点・打率.286
パリーグ助っ人外国人⑦フェルナンド・セギノール【史上最強のスイッチヒッター】
出典:amazon2002年にオリックスへ入団したスイッチヒッターで、プロ野球史上初の2試合連続左右両打席本塁打を記録。
更に両打席本塁打を1度記録したため、これまたプロ野球史上初の1シーズン3度の両打席本塁打を記録。
しかし、低打率がネックとなり1年で退団します。
2003年からはアメリカでプレーし、2005年に日本ハムファイターズへ入団し日本球界復帰を果たします。
日本ハムでは主に4番を務め、2006年のリーグ優勝・日本一、2007年のリーグ連覇に貢献しました。
2007年限りで日本ハムを退団し、2008年からアメリカでプレーしていましたが同年途中に東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。
2009年のリーグ2位躍進の原動力となりました。
プロ野球記録となる通算9度の左右両打席本塁打を記録し、史上最強のスイッチヒッターと呼ばれています。
日本通算8年:724安打172本塁打483打点・打率.273
パリーグ助っ人外国人⑧エルネスト・メヒア【西武打線を牽引する怪力スラッガー】
出典:amazon2014年のシーズン開幕直後に入団。
デビュー戦の初打席で初本塁打を記録。
途中入団ながら34本塁打で同僚である中村剛也と共に本塁打王に輝きました。
同じ球団で同時に本塁打王を受賞したのは史上初の出来事でした。
2年目は他球団から研究され成績は落としましたが2年連続で20本塁打以上を記録します。
3年目は開幕から好調で、自己最高の37本塁打103打点を記録。
豪快な打撃が持ち味であるが故に確実性に欠け、三振数も非常に多い選手です。
日本通算3年(2016年終了時点):355安打96本塁打265打点・打率.257
パリーグ助っ人外国人⑨ブランドン・レアード【お寿司が大好きな2016年本塁打王】
出典:amazon2015年に北海道日本ハムファイターズ入団。
1年目の前半戦は打率2割前半と全く打てず「期待外れ」とまで言われていました。
しかし、監督の栗山英樹は我慢強く使い続け、シーズン後半戦になり実力を発揮し、最終的にはリーグ3位の34本塁打を記録。
2016年は前半戦から爆発し、39本塁打で初の本塁打王を獲得し、チームの歴史的大逆転優勝に貢献。
また、サヨナラ本塁打を3度放つなど勝負強さも光りました。
日本シリーズでも3本塁打放ち日本一に導き、自信もシリーズMVPを獲得。
日本食が好きで特に寿司が大好物。
本塁打を打った際に3塁ベースを回る時に行う寿司を握るパフォーマンス、通称「寿司ポーズ」はファンも真似をします。
日本通算2年(2016年終了時点):259安打73本塁打194安打・打率.248
参考元
- ・参照リンク:NPB.jp 日本野球機構
- ・日本プロ野球助っ人外国人大図鑑―永久保存版 (B・B MOOK 809 スポーツシリーズ NO. 679)ムック
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